通信「ゆっくりずむ」の送り状裏の、皆さまとの思いがけない繋がりをつづった「みんなつながっている」を楽しみにして下さるお声を頂きます。出会いは思いがけない展開も始まる宝物。ご縁の一端をアップしました。
77号
2019.05
今年も信州新町にある限界集落信級(のぶしな)詣でしました。釜石から名古屋に講演で来られた山田周生さん達と一緒に、安曇野、のぶしなと廻りました。安曇野では臼井健二さんのシャンティクティに泊めて頂き、夜の森で焚き火を囲みながら久々の再開を喜び合いました。心づくしの朝食は、ジャムやディップ等々が全部手作り。身の回りにある食材で、手を掛けられた品が並んでいると心が満たされ、思わず箸が進みました。臼井さんのところは益々深化しておられ、周生さんは、釜石での活動に参考になることがいっぱいと喜んでおられました。あちらこちらで食とエネルギーの自給自足の場が広がっています。
のぶしなの「かたつむり食堂」には、たまたまバイクで日本全国を旅している若者が滞在中。パリダカールレースや、世界を廻った周生さんが来られると知り、連泊して待っておられました。かたつむり食堂のお風呂作りの手伝いをし、周生さんの話しを食い入るように聞かれ、周生さんも若者に一生懸命話しておられる姿がとても印象的で、こうしていろいろなバトンは渡されてゆくのだなぁと思いました。
昨年伺えなかった炭焼きのチカオさんの窯を訪ねることができました。道端に座り込んで森の事や炭焼きの事など伺え何よりでした。チカオさんから炭焼きを学ばれ、炭焼きした窯の余熱で、玄米珈琲を作っておられる植野さんにもお目にかかりました。寺島純子さんから、「のぶしなで、“えがおの力”を広めようと思っていたら、既に何人も愛用者がいて」と、教えて下さったお一人です。
長く愛用して下さっているとのこと。どこでご購入頂いたのか伺ったところ、「最初は、長野市のずくなしさんで」とのことでした。スローカフェ「ずくなし」さんは、寺島純子さんの会社オフィスエムがその建物に入られるまで、そこでカフェをされておられ「松の力」を販売して下さっていました。植野さんは、そこで購入して下さったそうです。ずくなしさんがお店を止められた後に入居された寺島純子さんと信級で御縁ができ、「えがおの力」つながりであったとのこと、ご縁は面白いです。
翌日、タイミングよく窯で玄米珈琲を焙煎されるところを見学させて頂きました。炭を焼き、それを出した後の窯に、玄米を入れ、余熱で丁寧に焙煎されていました。芳しい香りが漂い始め、加減を見るために少し取り出されたこんがり色のお米はカリッ、フワッと美味しく、そのままトッピングに使いたくなる感触でした。勿論、玄米珈琲も美味しく頂きました。東京から会社を移されたアパレルの社長さん達も「えがおの力」をご愛用下さっているとのことで、自然豊かな地で広がっていることは本当に有難く嬉しいことです。
GWに、信州に行った岐路 「名古屋べてる祭り」はじめ色々お世話になり、沢山一緒に遊んだ This is it’sの浅野夫妻が岐阜で田舎暮らしを始められましたので訪問しました。畑や森もついていたという古い家を自分で改装し、家の前の水はけの悪い田は、桃等を植えて桃源郷にしたいと夢を膨らませてせっせと植樹し、裏の森の木は何だろうと思っていたら“こしあぶら”だったそうです。べてる祭りを一緒にやっていた飯館村の麻里さんも福島から岐阜に移住してこられていて、なんと車で30分くらいのところでした。
麻里さんは、飯館村から避難されていましたが、亡きご主人が大切にされていた森に除染土を積んだトラックが行くのや、荒れてゆく田畑を見るのが耐えられず、似たような森の家を探して福島から移住されました。浅野さん宅で待ち合わせ、久しぶりにみんなで食卓を囲みました。べてる祭りのミーティングに集まり、ワイワイやっていた当時を思い出し、恵みの山菜料理を楽しみながら、昔話しや、森のこと、田舎暮らしの事などに花を咲かせつつ、まさか、こんな近くに住むことになろうとは、と互いに縁の深さに驚いていました。
縁は時空を超え、つながった人とはつながり続けるようです。最近、古い友人との縁が深まり、らせんを描いて新たに出会い直しているように思えます。
76号
2018.11
ある日、新潟の清水義晴さんから嬉しいお電話頂きました。通信「ゆっくりずむ」75号のBeな人、寺島純子さんの文章に、「同じことを考え、形にされていることに感動しました。」とのことでした。
清水義晴さんが顧問をされている博進堂さんは、アルバムに印刷理念と物語、感動を込めるお手伝いをしたいとの願いで、さまざまな制作をされていますので、寺島さんが、「今記録しておかなければ、いつかは村が消滅するかもしれないという悲痛な願いから写真集をつくりたい」という相談に乗り、完成させた信州信級(のぶしな)村民全員のアルバムにとても共感されました。
義晴さんは、26歳で家業の印刷会社を継ぎ、社長として腕を奮い、会社のため、従業員のためと、懸命に仕事をされていましたが、ある日社員たちの造反を受けたことから、人が人として大切にされる企業のあり方を模索し続けリーダーは管理職でなく支援する人、一人一職、一人一研究、ナンバーワンよりオンリーワンへ等々、様々な企業改革を進められました。30年前、師匠と親友を相次いで見送られ、弟さんに社長のバトンを渡した後、べてるの家と出会い、本の出版やドキュメンタリー映画「ベリーオーディナリーピープル(V.O.P)」制作はじめ、まちづくりアドバイザーとして日本全国を廻る等々多彩な活動を続けてこられました。2002年に出版された「変革は弱いところ、小さいところ、遠いところから」は、「ただの人」が社会を変えていく実例集です。一人ひとりがちょっとした変革を起こすことが、社会を変えてゆくとの思いでおられますので、“のぶしな”のありよう、取り組みに感動され、「限界集落にもっとも可能性がある」との言葉に、寺島さんは大感激されました。
義晴さんが、のぶしな情報を北海道浦河の川村敏明先生に送られたところ、同じ方向を向いている、ゼヒ行ってみたいと喜ばれたそうです。治せない医者、治さない医者を自認される川村先生は、日赤浦河病院の精神科が閉鎖された後、「浦河ひがし町診療所」を開院されました。義晴さんが聞かれた河村先生の診療所のあれこれは抱腹絶倒ものです。引退されていた看護師さんが、先生が開院するならと復職され、患者さんが、その看護師さんをサポートする老々介護だと満面の笑みで話される川村先生。地域の雪かきや田植えをメンバーたちと一緒にやり、界隈がコミュニティのようになっているそうです。新しい施設への妄想が構想となりつつあるそうです。
「援助って何だろうね、と。つねに悩む方向にものごともっていくのが私たちの役目かなって。きちんとするっていうようなことはね、そりゃもういいんですわ、ハッハッハ。というか、いつもどっかだめなところには、ちゃんと問題が出てくるようにしておかないと、逆にだめで、援助はする。それは問題をなくすためではなく、本人の問題がちゃんと出てくるようにするためだ。」元TBSプロデューサーで、べてるファンで「べてらー1号」と称しておられた斉藤道雄さんが連載されている「浦河ひがし町診療所物語」に書かれていた川村先生の言葉がしみました。寺島純子さんは、べてるの家の本を何冊も読まれていたそうで川村先生とのご縁にも大喜びされ、浦河にあるコミュニティ本屋さんの話に触発されるなど、それぞれの思いがグルグルと共鳴しあっています。
寺島さんとのつながりは旅の音楽家丸山祐一郎さんのご縁からです。丸山さんとは新潟の清水義晴さんのご紹介でと、1本の電話を頂いたことから。その丸山さんが清水義晴さんと出会われたきっかけは、浦河の「べてるの家」。べてるの名物営業部長早坂潔さんは、丸山さんのビリンバウの生徒さんです。べてるの家で、新潟の清水義晴さんを紹介されたそうです。そして長野の寺島さんが清水義晴さんと繋がり、川村先生へと広がっています。
浦河―新潟―名古屋―長野―新潟―浦河。ぐるぐると時間と場を超え縁が巡り、出会うべき時に人は出会い、つながってゆきます。
75号
2018.07
75号のBeな人、寺島純子さんと初めてお目にかかったのは、旅の音楽家丸山祐一郎さんとの旅の途中ご来社下さった時。その後2012年に丸山さんが企画された糸川英夫先生生誕100年と東日本大震災犠牲者追悼と原発事故終息を祈った信州丸子町での「はやぶさ響き246」プロジェクトに参加した折ゆっくりお話しできました。丸山さんのパートナーで書家でもある、こやまはるこさんの筆文字絵本「この足あとなぁに」も出版されたオフィスエム代表の寺島さん(通称アネゴ)の明るく、周りの人を元気づけるパワーは感動的でした。その後引っ越されて間もないオフィスに伺いました。1階のブックカフェは本好きにはたまらない魅力的な空間でした。そこにオフィスエムさんが入られる前は、なんとエコ・ブランチの商品をお取り扱い下さっていた“ずくなし”さんでした。
寺島さんが信級(のぶしな)で、かたつむり食堂を始められた時に、村には上下水道がないので、合成洗剤を流したくないからエコ・ブランチの洗剤を使いたいとお声をかけて下さいました。近くの大岡にあるアルプス展望公園内にあるカフェテラスモモの早川幸枝さんも使っておいでと伺いましたので、GWに信級訪問した折、立ち寄らせて頂きました。新緑の美しい山道を上りたどりついた北アルプスの絶景が広がる展望台。建物の一階にあるパンの香りが立ち込めた素敵なカフェで、お茶とケーキと景色を楽しませて頂きました。
寺島さんと三年越しで作られた早川さんの本「自然にごちそうさま」も置かれていました。運よくお目にかかることができお話できました、以前名古屋に住んでおられ、「くらしを耕す会」で援農をされたり、有機野菜宅配のにんじんクラブさんともご縁がおありだったとの事で、とても嬉しいつながりでした。
かたつむり食堂に着くなり、寺島さんが「この人も”えがおの力”の愛用者」と食堂に来ておられたお客様をご紹介下さいました。信級で広めようと思っていたら、既に6人も愛用者がいた!と満面の笑みでご報告下さいました。モモさんのある大岡という地域も限界集落だそうですが、自然豊かな地域で愛用して頂けていることがとても嬉しかったです。
信州での嬉しい出会いはまだ続きました。翌日、大町市に画家の斉藤清さんを訪ねた折、紹介したい人がいるからと一緒に向かった先は大町の山岳博物館内ミュージアムカフェ・ショップ「もるげんろーと」でした。そこにおられたのは、以前大町駅近くでうちの商品もお取扱い下さっていた山内さんでした。山内さんは、名古屋の起業支援ネットさんともご縁があり、旧知の人も何人かおられましたが、ご家族の事情で以前の仕事は止められご縁がなくなったと思っていましたが、また再会でき、話が弾みとても嬉しいひとときでした。
「ゆっくりずむ」のお蔭でいろいろな御縁があることを知る事ができます。
関野吉晴さんの「地球永住計画」の講演会に2回参加しました。その事務局の方が、エコ・ブランチに関心をお寄せ下さいましたので「ゆっくりずむ74号」をお送りしたところ、メールを頂きました。そこには、Beな人に登場して頂いた藤本倫子先生の事が書かれていました。
「なまごみぱくぱく、くうたくんの藤本さんは、お元気なのですね。10年ほど前に北九州市の環境フェスティバルで知り合い、小平にお呼びしたことがあります。小平に来て頂いた時には、ゆっくりとお話しました。東京に今でも来られているのなら会にお呼びしたいと思います」とのことでした。あいにく大腿骨骨折されて以来遠出はされていないそうです。日本全国廻られていましたからそんなつながりも当然ではあるでしょうが、知る事ができ嬉しい事でした。丁寧にたどると日本中がご縁の数珠つなぎになるのではないかと思えます。
74号
2018.05
開発者との出会いから販売を続けて17年になる「松の力」。昨年5月末その原材料が変わっていると原料製造メーカーより連絡があったと開発メーカーからの知らせ。青天の霹靂でした。
「松の力」は松油による界面活性剤と水のみでできた洗剤とお伝えしてまいりましたが、米ぬか・ヤシ・松油由来の界面活性剤であり、補助剤が使われているとのことでした。安全性には問題はないと言われましたが、変更の時期、経緯に関してメーカーから回答が得られない中、本当に安心頂けるものかどうかを確認することが先決と、6月7日より販売を一時休止し、原料製造メーカーの回答を待つのみでなく、自社において分析をすることにしました。
とは言え、分析を依頼する先を見つけるのも困難で、途方に暮れていた矢先に心配してお電話下さったお客様が分析の仕事に関わっておられ、こういう装置のあるところなら、とアドバイス下さったお陰で事が進み本当に有難いことでした。OECDが定めた生態系への安全性を見る国際的基準【LC50値】は100mg/L 以上であれば毒性はないとみなされ、“松の力”は130mg/L、“Eco-Bracn110”は240mg/Lという安全性を示す結果でした。食品衛生法試験で、野菜・果物洗いに適合、大腸菌・黄色ブドウ球菌に対する除菌効果もありました。さまざまな検査の結果、安心して頂ける事が確認できホッとしました。
データが揃い安全性が確かめられたことと、アトピーや過敏症のお客様からの「これが無くなったら困るのです」というお声や、「気に入っているので原料に関わりなく使いたい」とのお声、ご迷惑をおかけしたにも関わらず販売店さんからも応援のお声を多く頂きましたので、消費者庁等に相談したところ、正しい成分表示をすれば販売に問題はないとのことでした。“松の力”の名前に愛着はあるものの、松が主原料である誤解を生みかねませんので、名前を変更して9月6日より3ヶ月に及ぶ休止から販売再開の運びとなりました。
「川をきれいにしたい、地球の笑顔が見たい」という開発者の思いに共感し、洗剤に情報と願いを乗せてお届けしてきた「松の力」。信じきっておりましたので、正直とても動揺しました。松でなければおしまい、という気持ちになったこともありました。私が開発者の願いに共感したように、「松の力」に共感して下さった沢山の方にお取り扱い頂くようにもなり、多くの方に多大なご迷惑をおかけしました。けれど、開発者が長年注いだ思いを無にしたくない、再開を待って下さっているお客様にお届けしたいとの思いで、名前を「えがおの力」と変えて再開することとしました。
販売再開から半年以上過ぎましたが、心の整理がついたとはいいがたく、何故こんなことが起こったのかという割り切れなさと、私自身が心ならずも多くの方を裏切ることになってしまった心の重さ。一連の過程の中で、できる限り誠実に対応しようと努めてはきましたが、中にはご希望に沿えなかったやるせなさ等々いろいろな思いを抱えています。
でも、ある販売店様の「再開があと1カ月遅かったら、お店が危うかった」とのお言葉に、自然界同様、経済もつながりの中にあることを改めて実感しました。開発者が原料製造メーカーに研究委託された当時は、願いに共感され、その結果、素晴らしい洗剤が生まれたのだと思います。けれど、時が流れ、思いが伝わらなくなった結果起きたことであり、つながりと信頼が薄れている時代の象徴的な出来事だったように、今は思います。確かな製品づくりを目指して原料製造メーカーを変えられました。
原点に立ち返り、毎日の暮らしから地球を笑顔にする仲間と出会いたい。
そんな願いを込めた「えがおの力」。
Eco-Branch18年目の新たなスタートです。
▲ ページトップへ
73号
2017.05
先日、名古屋のフェアトレードの先駆け的存在である風‘Sの土井ゆきこさんがご来社下さいました。1996年愛知県女性総合センター(ウィルあいち)オープンに際し、テナントとして中部地区初のフェアトレードのお店をオープンされました。土井さんは、高校での出前講座、名古屋をフェアトレードタウンにしよう会等々、精力的に活動してこられました。
ウィルあいちの運営方法が変わりテナント終了に伴い閉店されましたが、昨年6月、正文館書店本店内で再開されました。フェアトレードは“人と人とのつながり”日本の中でもそれが失われつつあると感じ、自分たちにできることからはじめることで、つながる世界があると考え活動を続けてこられました。移転を機に、足元の暮らしを見つめ直す「地域の人とつながる店」として、より一層つながりを深めたいので”松の力“量り売りを検討したい、とご来社下さいました。
新店舗への移転は、まさにつながりの結果です。以前、ある女子高でのフェアトレードのお話を聞かれた学生さんが卒業して正文館書店に就職。社内でフェアトレードのお話会を企画され、その場に会長さんや社長さんもおられたそうです。ウィルあいちのお店が無くなると知り、お店がないと困る、と思われたあるお母さんが、候補地を探され、正文館書店はどうかしら、と思われたことから、話しが進み、以前、会長さん達もフェアトレードの話を聞かれていたことからオープンする運びになったそうです。女子高で、講座をしていなかったら書店でオープンすることはなかったでしょう、と話されました。どこで縁の花が咲くか、天の采配ははかりしれません。
3月18日の鶴田商会創業70周年記念会には、長年お世話になっている方々、久しぶりの古い知り合い等々、日本列島縦断のように各地から恐縮するほど沢山の方がお越しくださり、こんなにも多くの方々に支えて頂いているのかと、御縁とつながりの有難さを実感する一日でした。ゆっくりずむに原稿を書き続けて下さっている平井孝志先生の「エリオット君と学ぼう」を、起業支援ネットの戸上さんのお蔭で、70周年を記念して本にまとめることができ長年の夢がかないました。
創業80年になるお取引先様は、参加に当たり、社内で古参の方にいつからの取引か聞かれたところ、勤続40年の方が「入社した時には既に取引があったと思う」と、答えられたそうです。先代から2代にわたりお付き合い頂いている会社さんも多くおられ有難いことです。
思いがけない方もご参加下さいました。40年以上前、会社勤めをしていた時に仕え、お世話になった支店長のお嬢様からお申込み頂きました。支店長には、いろいろ教えて頂き懐かしい思い出が沢山あります。既に他界されていますが、形を変えて続くご縁の有り難さに胸が熱くなりました。
また、20年以上前、山元加津子さんの初めての講演会や、「べてるの祭り」でお貸りした会場の管理を担当されていたKさんもご参加下さいました。何年ぶりでしょう。「あれがしたいのですが・・・」、「これは?」と伺う度に「どうぞどうぞ、かまやしません」と温顔でお応え下さり、とても有難かったものです。本当に久しぶりにお目にかかりましたが、変わらない笑顔がとても嬉しかったです。
岩手県花巻、福島県田村市、東京、神奈川、長野、静岡、岐阜、三重、滋賀、京都、神戸、倉敷、山口、福岡等々。地名を挙げるだけでもすごい数です。単純にこの関係の人と言えず、いろいろな関係が十重二十重に織り重なり合っています。縁は時空を超え、一度出会った人とは、遠く離れてもつながり続けるようです。これから会う人も、また、何らかの縁があって出会うのでしょう。縁は有難くも不思議なものです。
72号
2017.02
『人間は一生のうちに逢うべき人には必ず逢える。しかも、一瞬早すぎず、一瞬遅すぎない時に』――森信三先生の言葉ですが、会いたいと思う人には、いつかご縁が生まれるようです。
「ゆっくりずむ」を発刊して15年。その間ずっと地球の事、自然の仕組み、仏教哲学等々大切なことを連載して下さっている微生物的環境技術研究所の平井孝志先生とのご縁もほぼ同じ年数です。今も続く異業種勉強会ABCフォーラムを始められた故天野榮夫先生が、「これ、あなた興味あるでしょう」と渡して下さったのが平井孝志先生の講演録でした。夢中で読みました。地球のこと、自然のこと、微生物…。知りたいと思っていたこと満載でした。
いつか、この先生にお目にかかって、直接お話を伺いたいと思いました。それから2年ほど過ぎた頃、平井先生がABCフォーラムでご講演下さり、お目にかかることができました。
ますます伺いたいことが増え、先生をお訪ねしたことから、先生が開発された製品を扱わせていただくようになりました。地球にいのちが誕生したのは、ミネラルと微生物のお陰――自然界は多様である事に添った多元素ミネラル、多種多様な微生物さんからできた製品は感動的でした。そして宇宙・自然界の摂理について学ばせて頂きたく、連載をお願いしたところご快諾頂いて今に続いています。 天野先生から頂いた講演録のおかげです。
今年3月、㈱鶴田商会が創業70周年を迎えるにあたり開催させて頂く「つながるいのちの物語」は、生命誌研究館館長中村桂子先生のドキュメンタリー映画とお話の会です。2001年頃でしょうか、何気なくつけたテレビで鶴見和子さんと中村桂子先生の対談番組をやっていました。引き込まれました。じっと耳をすませていないと聞き逃しそうな、手に汗握るような密度の濃い生命論・近代化論でした。その後、「鶴田和子・対話まんだら」シリーズに、『四十億年の私の「生命」』というお二人の対談本を見つけ夢中で読みました。
生命誌と内発的発展論。ひたすら経済発展を突き進む社会に大きな疑問を持っていましたので、「経済的発展は条件で人間の内発的発展が目的」という言葉に共感しました。38億年続いた生物の世界を良く見て、行われていることを学ぶとうまくいく。それぞれが、それぞれの能力を活かして生態系は成り立っており、多様性があるので、生物は生き続けてこられ、多様性が強さの元、皆が同じになるのは心中するようなもの…、深く共感し、思う方向性は間違っていないと言う安心感を持ち、その本は私のバイブルのようになりました。
いつか、中村桂子先生のお話を直接伺いたい、そう思いながら機会がありませんでした。けれど、昨年秋、生命誌研究館のドキュメンタリー映画「水と風と生きものと」上映会が高槻市であることを知って出かけました。駆け足で生命誌研究館も訪ねました。38億年のいのちの歴史が美しく、分かりやすく展示されていました。いのちのすばらしさがそこここに溢れていました。中村先生にはお目にかかれませんでしたが、映画が素晴らしく、観終わった時には、虫たちもいのちの仲間と言う気持ちが強くなっていて、これは多くの人に観て頂きたいと思いました。丁度70周年記念に何をするか模索していましたので、ぜひこれを!と思い、上映会の開催をお願いしました。その上、中村桂子先生にもお越し頂けることになりました。御挨拶に伺った時は、ほとんど、憧れのスターに会うファンの気分でした。
「いのちの活かされる社会を創りたい」――そう願って、いろいろやってきました。生きとし生けるものが、イキイキと生きられる社会であって欲しいという願いが益々強まっています。ほんとに、いのちはつながりです
71号
2016.12
「松の力」は縁結びの神様のようです。以前、三宅洋平さんが松の力を紹介されているのを見て、もっと知りたいとわざわざ大阪から御来社下さった「千の雫」北野あつ子さん。その時もお話の中で、共通の関心・知人に喜んだものですが、北野さんのFacebookページに、旧知の山口美佳さんのお名前を見つけました。山口さんは、笹田雪絵ちゃんの「幸せ気分」をお求めくださり、山元加津子さんの映画をキプロスのお友達に紹介したいとのことでお問合せ頂いたことから、何かとやりとりさせて頂くようになりました。何年になるかしら、と遡ったらかれこれ10年との事に、お互いにビックリしました。
北野さんと山口さんは、以前多言語交流のヒッポファミリークラブのメンバーで、東京と大阪でそれぞれ活動されていた古い友人とのことでした。ヒッポの活動を長くしていた友人から、創始者の榊原陽さんの「ことばをうたえ!こどもたち」という本や、趣旨を聞いて素晴らしい活動だなぁと思っていました。友人宅で行われたパーティで同席したイタリア人とお酒好きという共通項から言葉を超えて親しくなり、帰国してからも来名時に、飲んだりするつながりができたのはヒッポのお陰でした。私が、facebookに、清水博先生や、中村桂子先生の事を書いた時、山口さんが懐かしいとコメント下さいましたので伺ったところ、場の研究所の清水博先生が学生さんと一緒にヒッポに来られたり、生命誌の中村桂子先生も研究協力者をされておいでで御存知だったそうでこれも嬉しいことでした。
先月、わざわざ八ヶ岳から「松の力」について知りたいとイデアノートの松永様がご夫婦で御来社下さいました。納得した良い品を紹介していきたいので直接話しを聞きたい、とお越し下さったのです。商品をお取り扱い下さることになり、竹布も扱っておられますので、これで梅があれば、松竹梅!流石、昔の人は力を知っていたのね、などと盛り上がりました。その折、手作り酵素のワークショップをされておいでの奥様が「今度北海道で、手作り酵素の特別研修会があり出かけます」と、話されました。あぁ、大阪の北野さんも、酵素ジュースされているなぁと、ふと思いました。
つい先日、北野さんがfacebookに「手作り酵素の研修で十勝に出かけます!」と書かれており、あら?と思いました。北野さんに、「もしかしたら松永さん御存知ですか?」とメールお送りしたところ、大先輩で、今ずっとご一緒しています」とのお返事。なんと、なんと!でした。ほんの10日程前にお目にかかった方と、そんなつながりが見つかるなんて驚きと共に、嬉しくてたまりませんでした。
紅葉がそろそろ始まりかけた頃、北海道美瑛の天文台に佐治晴夫先生をお訪ねし、新得共働学舎に宮嶋望さんをお訪ねしました。いつか伺いたいと思っていた、佐治先生オススメのお菓子のメルルさん。メルルさんは、「松の力」をお使いになり浄化槽の状態が驚くほど良くなったので、トイレの手洗いにも置いていた松の力についてお客様から尋ねられることが多く、お取り扱い下さるようになりました。台風の被害を受けたものの幸い修復された幹線道路が開通していましたので立ち寄ることができました。森の中の素敵なお店で、美味しそうなケーキばかり。手間暇かけて作られていることが見るだけで伝わってきて、食すのが勿体なく思われるほどでした。Facebbok上でもやり取りさせて頂いていますので、初めてお目にかかったとは思えませんでした。
そのメルルさんに、十勝から車で来て「松の力」を購入されていた方から、こちらでも扱って欲しいと言われたことからからお取り扱い下さるようになったJOYCOCOさんにも伺いたかったのですが、かなりの距離で、スケジュール的に難しく断念しました。
これほどの距離を走ってお求め下さったお客様がおられたことに感謝で
いっぱいになりました。松が紡いでくれるご縁の有難さです。
70号
2016.09
ある日、旧知の安曇野にある野の花診療所の杜(もり)さんからお便りが届きました。そこには、近況とともに思いがけないつながりが書かれていました。杜さんは、1970年から合成洗剤や中性洗剤を台所から除き、「まずは、洗剤からの革命」と説いて46年だそうです。お友達とご自身の皮膚のトラブルについて話していた時、その方が「固形石鹸も一つの原因かも。私自身や勤務先でも、ずっと前から“松の力”ですよ」と。「えっ、、、それってEco-Branch?!」「えっ、え…、鶴田さんをどうして御存知なんですか?」となりました、まさかこんなふうに結びつくとは驚きです。と書かれていました。
そのお友達は食のギャラリー612のたなかれいこさんのスタッフをされておいでとのことに嬉しくなりました。ギャラリー612のたなかれいこさんは、長く、「松の力」をご愛用、お取り扱い下さっています。蓼科で畑をされていますが山小屋に水道がないので、できるだけ水を使わない食器洗いをされていて、それが雑誌に掲載され、松の力をご紹介頂いたこともありました。
エコ・ブランチでもご紹介している美味しいオリーブオイルを輸入販売されているアサクラの朝倉玲子さんは、以前たなかれいこさんの所で仕事をされていたそうです。その朝倉さんと初めてお目にかかったのは、新潟の清水義晴さんと会津の環境関係の会に参加した折でした。ちょうどイタリアに料理修業に行った折、オリーブオイルの美味しさに驚き、日本人にもっと美味しいオリーブオイルを知ってもらいたいと、信頼できる農家を探し、そこから個人輸入を始められた頃でした。キラキラされて、パワフルで、アサクラオイルは、さぞ広がる事と思ったものでした。思った以上の広がりと展開に流石!と思っています。その朝倉さんの紹介で、会社にご来社下さったのが、東京から戻られたばかりのmoveの岩塚さんでした。いろいろお話するうちエコ・ブランチ商品のお取り扱いを頂くことになりました。エコ・ブランチ商品を愛して下さり、今も沢山のお客様に広げて頂き、ご紹介下さった朝倉さんに感謝です。
野の花研究所の杜さんと初めてお目にかかったのは、愛知万博で、トトロの家の親方をされた大工の中村武司さんの結婚披露宴の席でした。活けられたお花や室礼がとても見事で、今も心に残るそれをされたのが、中村さんの奥様の友人である杜さんでした。その後頂く企画のご案内はステキなものばかりです。一度参加させて頂きましたが、布で覆われた部屋、お花、音楽とお料理の集いは見事でした。ご縁が続き、ひょんなことから“松の力”をお試し頂くことになり嬉しい限りです。
大工の中村さんとは、随分前にダムに沈む村の家が解体されるということで見に行った時に出会って以来、何かとお世話になっています。家の主治医になりたいと言われるだけに、ほんとに小さな仕事も引き受けて頂き申し訳ないのですが、とても助かっています。
今年の5月、中村さんのお誘いでランプのお宿に行きました。そこに参加されていた京都の大工金田さん、のお名前に、「ン?」 グロッセ世津子さんの会にもご参加頂いた橋本宙八、ちあきさんご夫妻の新しい拠点の家を造られた大工さんでした。「橋本さんご夫妻が良い建築家を探しているけれど良い人知りませんか?」と、世津子さんから相談を受け、中村さんをご紹介したところ、距離的に離れているので、と信頼できる建築家さんを橋本さんにご紹介下さり、その現場を手掛けられたのが金田さんでした。
思いもかけない所で縦横無尽につながる縁。もしかしたら同時代に生きている人は、みな、どこかでつながりがあるのでは、と思えるほどです。目には見えない、からみあう
縁の糸が見えたら、出会うことのかけがえなさ、有難さがより一層深く
思われることでしょう。
69号
2016.06
山元加津子さんを通じてご縁のできた高木さんから、ある日メールが届きました。「毎日新聞の佐治晴夫先生の記事をシェアして下さって有難うございました」とありました。
2014年に、高木さんが企画された指談(ゆびだん)の優さんを囲む会にお誘い頂いた折に、小脳出血で植物状態と診断された従妹さんの介護をされておいでの藤井さんという方がおられました。意識がないと思われていたそうですが、藤井さんは意識があると信じて、体を触って話しかけ続けておられたそうです。
ある時、その従妹の美津恵さんに、ご両親の法事に代りに行くから、と声をかけたところ一筋涙を流されたので意識があることを確信。ネットで情報を捜し、柴田保之先生とつながり、心の声を聞き取って頂いたところー 「全部わかっていました。お世話になった人たちに感謝の言葉も言えず死んでいくのかと怖かったです。ホッとしました」と語られたそうです。それから劇的に回復の道をたどられ、高木さんは今も支援に行っておられますが、たまたま私がFacebookで紹介した毎日新聞「佐治博士のへぇ~そうなんだ?!」の「“見えない”大切なものを見る」という一文に感動され、美津恵さんを訪ねられた折に先生の記事を読み上げた時の事をメールでお知らせ下さったのです。
「~脳からの指令が電気信号として皮膚表明に染み出すことが分かり、この微弱な電気信号を検知するのが、体毛と内耳にある有毛細胞で、とくに敏感なのは、産毛の下にある細胞が皮膚感覚としての気配を感知しているらしい」とありました。
「拘縮で握っている美津恵さんの手に指を入れて「世界的に著名な物理学者の方なんですよ。お名前聞かれたことありますか。あったら握ってください」と言ったら、ものすごい力でぎゅっと握られたので、介助付き文字板ポインティングに切り替え、聞いたところ、なんと発症前に勤務していた大手企業で、先生をお招きして講演会を開催した際にスタッフの中核として動かれていたことが分かり、どうしてもその事を佐治先生にお伝えしたくて、メッセージをお送りしたところ、FB管理者の方を通じてお返事をいただけ、その会社のことを覚えておられ、温かい励ましのお言葉も頂きました。」 と、ありました。
佐治先生ご自身闘病中ですが、その後、直接勇気づけられるメールが届いたそうです。
「生きているということは、未来への希望があるということですから、ぜひとも、時間をかけてでも復帰していただきたいと心から願っております。世の中に確率ゼロという事象はほとんどないからです」
Facebookで紹介した記事が、こんなドラマを生むとは思いもしませんでした。以前、北海道美瑛で“松の力”をお取り扱い下さっているお菓子のメルルさんと佐治先生のご縁を知ったのもFacebookでした。
佐治先生とは、仏教学者故紀野一義先生の会でお話を伺って以来のご縁ですが、その紀野先生とご縁のあった高山の原田和尚様から、高槻市の教護院で、いろいろな問題を起こした子どもたちと生活を共にして教えてこられた辻光文先生を神渡良平先生がインタビューされ、「共に生きる」という本にまとめられたとお知らせ頂きました。
神渡先生は、辻先生のことを地涌の菩薩と称せられ、帯には「在家仏教徒に徹した辻光文先生の実践の数々は心に響きます」と“日本を美しくする会”会長の鍵山秀三郎さんの言葉がありました。この数年、体調を崩しておられたので、最晩年にインタビューに応じられ、先生の思いがまとめられ、とても嬉しいです。「生きているだけではいけませんか」という詩や、分かりやすい言葉で「生きとし生けるもののいのちは全部ひとつつながりである」ことを伝え続けられ今年4月、私心ないその生を終えられました。
「縁 即ち是れ 真の吾なり」昔、頂いた言葉が年々胸に沁みます。
68号
2016.02
「安曇野のシャローム臼井さんご夫妻が来られます。いらっしゃいませんか?」鈴鹿のアズワンコミュニティで暮らす友人からお誘いのメールが入りました。年末でしたが、久しぶりに臼井さんご夫妻にもお目にかかれることを楽しみに1泊2日の探訪会に出かけました。
臼井さんご夫妻とそのお仲間、「安曇野地球宿」の増田望三郎さんのお仲間との総勢7名でした。「地球宿」さんは、旅の音楽家丸山祐一郎さんからお名前を伺っていましたので、お目にかかれ嬉しかったです。アズワンコミュニティの活動に関心があり、一度伺いたいと思っていましたが、「1泊はして欲しい、でないと伝わらないから」、とのことにタイミングが合わずにいました。今回参加して、探訪会と言う意味が分かりました。
アズワンコミュニティは、人や社会を科学的に探究する営みをベースに、その人その人に適った暮らし・生き方や、お金にとらわれない暮らしに取り組まれ、社会実験と言われます。集合した初日午後からガイダンス、見学、話し合いが夜10時過ぎまで続き、終了後の懇親会でも、生き方や、社会の在り方等について喧々諤々でした。SUZUKA FARMという若者が始めた農園を地域の人にも楽しんでもらえるようにした“街のはたけ公園”、手の入ってなかった森を活かした里山づくりは、主にリタイアされた方が楽しんで山仕事をされているそうです。
“おふくろさん弁当”と言う会社は、ルールや仕事に縛られず、自由で楽しく、働きやすい会社を作ろうと立ち上げられたそうです。社長係!の龍さんが楽しそうに説明下さいました。コミュニティのメンバーばかりでなく地域の方達も一緒に働いておられ、会社と社員と言うより大きな家族で運営する会社といったもので、手作りのお弁当1個から配達され、農園で収穫した野菜でお弁当をつくり、コミュニティストアにも惣菜を届ける等、良い循環を作っておられます。お話を伺い、願う世界がここにあるという感じで感動しました。
宿泊はメンバーの方のお宅に泊らせて頂きました。翌日のお昼は又別の方のお宅で頂き、お話も伺えました。そこの御主人は、おふくろさん弁当で、てんぷらを揚げておられ、美味しいてんぷらを沢山ご用意下さいました。「以前は、お給料をもらっていたけれど、今は断って、好きな時に手伝いに行き、コミュニティセンターでヨガを教え、里山仕事もしている」と、楽しそうにお話下さいました。
いろいろな方が様々に説明下さり、代表がどなたなのか分からないので、伺ったところ、誰が代表ということでなく、みんなで一緒に人間や、社会を探求し合い、試し、うまくいかない時は止めて、探求し、又する、という感じで、全責任を負う代表がいる訳でなく、最初に集まった7人を中心に広がっているようでした。安曇野の臼井さんも、お金のいらない地球1個で暮らせる生き方を模索・実践されておられますので、意見交換がとても興味深く、壊すことを怖れず、やり続ける力に刺激をうけました。
今年に入って、探訪会でお世話になり、サティシュさんの会にもお越し下さった北川さん、片山さんが御来社下さいました。ゆっくりお話を伺い、改めて、みんなで人間や、自分を掘り下げることに費やされるエネルギー、師匠やカリスマがいる訳でなく、共に学ぶ力のすごさに、この土台があるからこそ、と思いました。あれこれお話する中で、北海道で緑健文明を提唱されていた草刈善三
先生のお話になりました。片山さんは、先生の勉強会に関わっておられたそうです。
マクロビアンの橋本宙八さんのお名前も出て驚きました。地縁も、仕事の分野も全く異なり、普通ではつながりが生まれそうになく思えても、目指す方向性が同じだと、思いもかけないところでつながっているものです。
▲ ページトップへ
67号
2015.11
ある日、いただき繕さんからお電話を頂きました。農哲学院のスペイン農場でオリーブ栽培をされておいでの方が、微生物の平井孝志先生の事を伺いたいと御来社されるとのことでした。お越しになられた唖樵さんといろいろなお話をする中で、農業に関わられる前からのお友達が名古屋におられるとのことで、お名前を伺ってびっくり、旧知の医療用酸素の江場康雄さんでした。
そもそも、農哲学院さんと御縁ができたきっかけは、東日本大震災が起きた直後、「放射能の被害を受けた時の古老の智恵・・・」という農哲学院さんの文章が江場さんから送られてきた中に、松の樹液を塗ると良い、という文章があり、それならば「松の力」が、少しでもお役にたてないものかと、詳しく伺いたくて江場さんに連絡先を伺ったのが最初でした。
教えて頂いた農哲学院の遊さんに連絡を取り、代表の先生にメールを送らせて頂きました。親切なお返事を頂き、今では、いただき繕さんで「松の力」もお取り扱い頂き、イベントで御出店頂くようになる程、関係が深まりました。農哲学院の皆さんは、いただき繕レストランも、古民家等を修復して創られています。中心になるのは2,3人の、それも女性が多いのですが、ご自分たちで、大工仕事もしながら立ち上げていかれます。札幌、東京、福井、富山とレストランをオープンされ、札幌店の春山さんは、出張料理にも来られています。
現代人には、大麦が必要、とスコットランドで唯一の自然農の農苑で栽培を始められ、やっと販売できるようになったと喜んでおられます。農園、レストランはじめ大切と思われることを次々形にしていかれる熱、機動力は感動的で、その背中を押しておいでの先生にお目にかかれる日を心待ちしていたところ、夏、ロンドンから来日中の先生が名古屋に来られると、春山さんからご連絡頂き、平田寺さんでお目にかかることができました。いろいろなお話を伺う中で、平井孝志先生のお話をさせて頂いたところ、いつか平井先生にお目にかかりたいと言っておられました。
それが、今回のスペイン農場、唖樵さんの御来社につながりました。「来日中に平井先生とお目にかかるように先生から依頼されました」という唖樵さんに、翌日、平井先生とお目にかかって頂くことができました。地球への深い思いをおもちのお二人、肝胆相照らすという感じで話しあわれたとのことで、とても嬉しく思いました。
「ゆっくりずむ」で福島県田村にある蓮笑庵の渡辺仁子さんの文章をご覧になり、福島まで会いに行かれて以来、名古屋に仁子さんが来られるときのお宿をされていた方が、サティシュさんの会に仁子さんと一緒に参加して下さいました。その折、いただき繕さんのおにぎりに感動されて福井まで訪ねて行かれ、いただき繕さんが始められた古民家再生に共感、福井に移住されました。いただき繕さんパワーはすごく、次は豊田にもレストランをオープンされるそうなので楽しみです。
北名古屋市にある平田寺さんは、お寺を解放され、さまざまな素敵な企画が目白押しの素敵なお寺です。東北と愛知を醸し物でつなごうと、梅干しを漬け、お味噌を作って福島、仙台等に届ける「つながるかもすプロジェクト」もされています。ある時イベント出店の折に手伝っておられた女性は、社会福祉法人「さふらん会」にお勤めの方でした。我が家の下の階の方の息子さんが「さふらん会」に通っておられ、お話したところ、びっくりされていました。以前、さふらん会におられた牧師さんは、ベてるの家の皆さんが集うようになった教会に転勤して行かれた方で、いろんな御縁があるものです。
協働学舎新得農場の宮嶋望さんの奥様から頂いたお手紙には、「新得町の知り合いの方のお姉様と出会い、エコ・ブランチ商品をお使いとのことで話が弾みました」とあり、とても嬉しかったです。何気なく、道を通りすがっている人も、お話すると、思いがけない御縁のある人かもしれない。袖振りあうも多生の縁、という言葉が実感として感じられることが多い日々です。
66号
2015.07
場の研究所清水博先生から「素晴らしい本です」と、お勧め頂いた「風の旅人」という雑誌があります。写真と言葉の力を通じて、現在から未来に伝えていくべき大切なものを浮かび上がらせるという、中身の濃い、じっくり腰を据えて読み進まないと勿体ないと思う内容の雑誌です。発刊されている「かぜたび舎」さんは、編集長の佐伯剛さんが一人で編集・出版、販売されている会社で、昨年、居を東京から京都に移され、時折、“風天塾”という会を開催されています。とても興味深い内容の会ですが、なかなか折が合わず参加したことがありませんでした。
第五回は「心と身体と頭が変わる時」というタイトルで、語り手は東大病院循環器内科医師で、未来医療研究会も主宰されておいでの稲葉俊郎さん。「科学、伝統医療、心理学、精神医学、芸術、民俗学、宗教、農業、精神世界・・・など、現代医療に色々なものを自由自在に結び付けつけていくことを日々考えており、未来医療研究会を主催しています。近年は、日本の芸能には、からだやこころの智慧がすべて凝縮されているととらえ、医と日本の伝統美の世界を結びつけて考えるため、自らも能楽の稽古を重ねています。」タイトル、紹介文に心が動かされました。
日が迫ったものの、予定もあり迷っていた矢先、山元加津子さんからメールが届きました。毎年恒例の山元加津子さんの「思いっきりkakkoワールド」は、かっこちゃんのしたいことを存分にして頂く集いです。今年は12月6日(日)南生協病院で開催することになり、御希望の問い合わせへの返信でした。「稲葉さんと沢山お話したい」という文面に、「えっ、稲葉さんって、風天塾に登場される稲葉先生?!」確認したところ、同じ稲葉さんでした。これでは行かない訳に行きません。かっこちゃんとの対談のお願いというミッションも胸に参加申し込みしました。
お願いするのに、全く存知あげなくては失礼と思いネットで検索しました。当日朝、たまたま開いたところが、「べてるの家」川村敏明先生へのインタビュー記事でした。2003年、稲葉先生が、まだ医学部学生だった頃のものですが、2002年まで「名古屋べてる祭り」を開催し、川村先生のファンですので、つながりがとても嬉しく思われました。【僕らは思いを溜め込み,その重い荷物を背負ったまま,さらに遠くへさらに高くへと飛ばなければいけない幻想に陥っているけど,実はその荷物はもっと軽くできるし,そんなむやみに遠くに高くに飛ばなくてもいいんだよ、といっているのかもしれないと思うのだ。「降りていく生き方」という、べてるでよく出てくる表現は,このような苦しみへの1つの答えなのかもしれない】インタビュー後の感想を拝読し、お願い大丈夫!と思えました。
稲葉先生のお話は、とても興味深いものでした。中でも、西洋医学は、ガンや病気を敵とみなし、身体を闘いの場と考え、資本主義的思考とマッチする。一方東洋は、身体を調和の場と考え、なぜ不調和になっているか考える。自分の身体を闘いの場と考えると外の戦争は無くならない、自分を調和の場とみなすことが大切というお話に深く共感しました。人間の60兆もの細胞が無意識下でも働くのは宇宙的意味があるといったお話等を伺い乍ら思いがいろいろ駆け巡りました。
12月6日のkakkoワールドがとても楽しみです。
サティシュ・クマールさんの会等にご参加下さった安田さんから、岐阜で辻信一さんのゆっくり小学校をします、と御案内頂きました。観たかった映画「音もなく慈愛は世界にみちて」の上映もあり、気にかかっていた「日天月天」という古民家スペースでの開催でしたので恵那に出かけました。とても素敵な空間で、ご主人のお顔にどこかでお目にかかったことがあるようなと思ったら、4年程前、奈良裕之さん&ボブ・サムさんの会等にお越し下さっていた船橋ひとはなさんでした。一度お店に伺いたいと思っているうち転居され、行けずじまいでしたが、思いがけないところで再会できました。
何となく気になる時は、何かつながりがあるようです。
65号
2015.04
昨年のセヴァン・スズキさん講演会で、ご縁のできた「愛知子どもの幸せと平和を願う合唱団」藤村記一郎さんのお誘いで、合唱劇「ぞうれっしゃがやってきた」公演会に行きました。
戦争中に動物園から動物たちが殺されて消えた中、東山動物園で奇跡的に守られた象を見たいという子供たちの願いをかなえるため、戦後各地から名古屋に向け走らせた「象列車」を題材にした合唱曲「ぞうれっしゃがやってきた」。戦後70年記念の今秋、5000人の大合唱を企画されており、それに先立つ公演でした。国境を越えて平和のメッセージを届けたいと、全国各地のみならず韓国・中国・タイにも出かけて歌い続けて来られたそうです。
最後に秋に向けて、各地で生まれている合唱団の代表の方がステージに上がられましたが、中国・フィリピンからも来ておられ感動しました。福島にも歌う会が生まれ、田村市の蓮笑庵渡辺仁子さんも来られました。以前、うつくしま福島復幸プロジェクトで開催した飯舘村のお母さん達の作品展&お話会に、福島に向けてのチャリティの寄付先を探して参加された韓国人のパブテスト教会の牧師さんご夫妻も来ておられ再会しました。韓国の方がどこで会を知られたか不思議でしたが、飯舘村の集いをご夫妻に紹介して下さったのは、いつもお世話になっている わっぱんの清川さんでした!
牧師さん御夫妻と清川さん、東北と愛知を“かもしもの”で繋ぐ「つながるかもすプロジェクト」で漬けた梅干しを蓮笑庵に届けられた平田寺の長谷川さん。高校生の頃から仁子さんの御主人渡邊俊明さんのファンだった今井さんと、「ゆっくりずむ」に掲載された仁子さんの文章に共感され、福島まで会いに行かれた佐藤さん。廃食油で世界一周され、日本縦断中に花巻で東日本大震災に遭遇、ガソリン無しで走れることから支援物資を運ばれた後も釜石で活動を続けておいでの山田周生さんと、水中写真家の永嶋奏さんも丁度名古屋に来られており、合流して賑やかな食事会をしました。国も宗教も分野も越えて、これから大切なことは何か、心のこと、教育、地域づくりの事等々の話が飛び交いました。
3月に名古屋で開催した「サティシュさんを囲んで“未来を灯す縁座”~仲間と共に未来を灯す、未来を創る」は、タイトルどおり、旧知の人たちは繋がりを深め、新たなつながりが生まれました。山田周生さんに第一部でお話し頂き、その周生さんをご紹介下さった、旅の音楽家丸山祐一郎さん&こやまはるこさんは、新曲「100年後の君へ」を歌って下さいました。以前、丸山祐一郎さんが信州上田で開催された音楽祭で、子供たちの素敵な草冠を作られた、草のプロデューサーくさのきよみさんも埼玉から参加されましたのでディスプレーをお手伝い頂きました。サティシュさんのDVD BOOK「今、ここにある未来」にメッセージを寄せられている園芸療法実践家のグロッセ世津子さんも参加され、植物つながりのグロッセさんと、くさのさんの出会いも嬉しいことでした。お嬢さんがイギリスでサティシュさんに会いに行かれた蓮笑庵の仁子さんも名古屋に来られ、周生さん、丸山さん、グロッセさんは、蓮笑庵くらしの学校に関わっておられますので同窓会のようでもありました。
15年来の知人が関わっている鈴鹿のアズワンコミュニティさんのブースも人気でした。海外からの見学も多いそうですが、昨年山田周生さんが訪問され旧知の人があることに喜びあわれたそうです。岐阜県石徹白の地域起しブースの加藤さんもトラジションタウンの活動等で、アズワンさんと旧知でした。カンボジアで、ポルポト政権下絶えた世界一美味しいと言われたブラックペッパーを再興されたクラタペッパーさんはじめ、それぞれに素晴らしい活動をされているブースの皆さん、互いに商品や情報を紹介しあったり販売されています。
「徳は孤ならず 必ず隣あり―(思いやりの心で行動や考え方ができる人は
孤独でなく、理解され応援される)という論語の言葉がふと浮かびました。
64号
2015.01
心理学者で地球の大変さを伝えたいと来日され各地で講演されていた故ジョン・エンライト博士の奥様響子さんのお母様は、Dr.Soap等を御愛用下さっているお客様でもあります。昨年、北海道共働学舎の宮嶋望さんの講演会が終わった頃、ご注文のお電話を頂きました。四方山話の中「あの宮嶋望さん、自由学園幼稚園で教えていた時の教え子だと思う。丸い顔した望君・・・」との一言にビックリ!自由学園で教えておられたことは伺っていましたし、宮嶋さんが自由学園におられた事も知ってはしましたが、よもや繋がっておいでとは…、ナント、ナントでした。
最近は、Facebookのお陰で、思いがけないつながりが分かることも多々あります。昨年、オーガニック料理が楽しめるライブハウスVIOのメイさんが来社して下さいました。ライブハウスを情報発信と、交流の場にしたいとさまざまな講演会等も企画され、小さなお子様をお持ちのお母様たちにも良い情報・商品を届けたい、と「松の力」の量り売りも始めて下さることになりました。その事をFacebookに記載したところ、シェアして下さったのは、カムラックの西春歯科さんのカミアワセ研究の平岩直子さんと親しい治療院の仙田さん。あら、と思いました。竹布の相田さんが名古屋に来られた折、お送りした所でした。その仙田さん、平岩さんやお仲間が懇意にされている浪漫美容室の若松さんは、阪神大震災の時、長田町に長くボランティアに行かれ被災された皆さんのカットをされていました。私が若松さんに初めてカットして頂いたのは、なんとボランティアに行った折、若松さんから、「美容院行く暇ないのでしょう」と、被災地の方に交じってして頂きました。以来、お世話になって20年です。
ある日、Facebookに宇宙物理学者の佐治春夫先生と茂木健一郎さんの対談番組のことが紹介されていました。書かれたのは、北海道美瑛で“松の力”をお取り扱い下さっているお菓子のメルルさんでした。嬉しくなってメールをお送りしたところ、佐治先生のお話会も時折されるとのことでした。それだけでも嬉しかったのですが、続いて四日市の女流根付職人梶浦明日香さんも同じ番組の事を書かれていました。又々ご連絡したところ、家がお近くだったとのことでした。最近、先生は星を追いかけて北海道によくお出かけとのことに、まだ伺ったことのない美瑛のメルルさんが目に浮かびました。
仏教学者故紀野一義先生の会で佐治先生のお話を伺って以来ファンで、多摩大学で開催された真昼の星を見る会に伺ったのは何年前だったでしょう。職種も、年代も、地域も違っている人もインターネットのお陰でちょっとしたきっかけで、旧知のようになることもありますし、何気ない会話から思いがけないつながりを知ることもあります。
奈良裕之さんの音魂演奏会の折、雑談の中で、アイヌモシリの方とよく共演されていたと伺い、シンセサイザーの矢吹紫帆さんのコンサートでアイヌの秀さんの舞を拝見したことがあるとお話したところ、秀さんともよくご一緒されたことや、紫帆さんたちが熊野に行かれることになったきっかけが、奈良さんの親しい京都の方の御縁からと伺いびっくりしました。更にピアニストのウォン・ウィン・ツァンさんの初期のCD「さとわ」の話になりました。ウォンさんを知ったきっかけは、「ミュージシャンの僕が言うから間違いない、良いCDだよ」。熊本で有機野菜の宅配をされている、どれみ村の天波さんから薦められたことからでした。素敵な曲ばかりでしたが、なかでも「君が代」に感動しました。そんな事をお話していたら、奈良さんも、そのCDに関わっておられたとのこと。いろいろな事がぐるぐる廻っています。
Facebookもですが、いろいろな方が、さまざまな活動を始めておられますので、思ってもいなかったつながりが浮かび上がるようになっています。こうして地域を超えた共同体のような関係性が生まれてくるのでは、と思うとワクワクします。
63号
2014.10
グロッセ・リュックさん&世津子さんのお嬢さん、明日香さんの結婚パーティに参加するため、初めて宮沢賢治の花巻へ。かねてから一度伺いたかった東和町のレインボリューの森へ行くことができました。バスで会場に着いたら窓の外に釜石で活動中のバイオディーゼルの山田周生さんのお顔が見え?!。カメラマンとして奏ちゃんと来られたそうです。たまたまグロッセさんのお友達宅で東日本大震災に遭遇、以降、花巻と釜石を何往復されたことでしょう。思いがけず東和町でお目にかかれとても嬉しかったです。
グロッセファミリーの多くのお友達の手による野外パーティは、本当に心温まる素敵な集いでした。お花、お料理、音楽等々、どれもが愛にあふれていて、既成の会場では味わえないものでした。グロッセ夫妻は一年中東和町におられる訳ではありませんが、関わりあいの素敵さに感動しました。
駅から会場までバスで御案内下さった女性と、お料理を頂きながら話していた時のこと、「薬局をしつつ、ワンデーシェフレストランをしています」、口にされた言葉に「えっ?」。「四日市の海山さんのワンデーシェフですか?」と伺ったところ、それこそ「エッ?!」。あまりに意外で、しばし顔を見合わせてしまいました。海山さんの哄笑が空から聞こえるような気がしました。3年目に入られるそうです。海山さんから3年は頑張って下さいと言われていた3年。生きておられたら、ご相談したいことが沢山あります、と涙ぐんでおられました。翌日、世津子さん達が園芸療法などで関わっておいでの介護施設のお祭りに出かけた折、会場でばったり再会、一緒にさまざまな活動をしておられる御主人様ともお目にかかれました。ご主人は、「海山さんが他界される前の年、宮沢賢治も入った温泉に一緒に入りました、惜しかった。私心が無く、一生懸命、公に生きておられた人だった」と、懐かしんでおられました。海山さんの播かれた種が、遠い東北の地で、脈々と生き続けていることがとても嬉しく思われました。ふいっと、ワンデイシェフレストランの店の事を口にされたのは、海山さんが引き合わせて下さったに違いないと喜びあいました。
エコール・グロッセ名古屋のため、来名されたグロッセさんと話しの中で、瀬棚という地名から、以前草刈善三さんの緑健文明の集いでご一緒した、フォルケホイスコーレの河村さんの事を思い出すことをお話したところ、「えっ、河村さん知っているの?」と世津子さん。明日香さんが北海道の牧場に嫁がれることになったきっかけは、フォルケホイスコーレにおられた方のご紹介で、今回のお祝いパーティの呼びかけ人もされたそうです。草刈先生は他界されましたけれど、さまざまに地道に活動されておいでの方たちのことを教えて頂きました。思いがけないところで、思ってもいない繋がりが浮上してくるものです。
前回のエコール・グロッセに、マクロビオティック・半断食セミナーの橋本宙八さん、ちあきさんご夫妻がお揃いでご参加下さいました。グロッセ夫妻と長く親交がおありで、倉敷の長谷先生も旧知です。福島の森の中にあるマクロビアンという場で半断食セミナーをされていましたが、原発事故後は開催できないため離れられました。ご夫妻ファンの長谷先生から出会って下さいね、と言われつつタイミングがあいませんでしたが、ようやくお目にかかれました。宙八さんは、随分前にABCフォーラムで御講演を伺ったことがあります。フォーラムのメンバーの幾人か方が宙八さんの半断食セミナーに参加されていることもあり、活動は存じ上げていましたし、奥様のちあきさんの御著書を知人から頂いたりと間接的な御縁はあるもののお目にかかってはいませんでしたので、とても嬉しいエコール・グロッセでした。
共通の話題、知人も沢山あり、出会うまでに時間がかかりましたが、時期が来れば出会う人とは、会えるものと改めて思いました。
62号
2014.07
ある日、久しぶりにお取り扱い下さっているオーガニック七菜の七菜さんとお話しました。他界されたご主人のトラオさんと出会ったのは25年程前でしょうか。有機農業に関わられる前は音楽やカメラの仕事をされていました、お目にかかった時、お母様から「あなたは霞を食べて生きていきなさい」と言われたので、形が残らないことを仕事にしてきたと、話されたことがとても心に残っています。よもやま話の中で、七菜さんから地震の後、子供たちのためにどうしたら良いかしらと言うことで頭がイッパイで、引っ越したことやトラさんの他界もご連絡していなくて敷居が高くなっているのだけれど郡山のけるぷ農園の佐藤さんはお元気かしら?とのお尋ねから、トラオさんと佐藤さんのお父様佐藤三郎さんが音楽仲間であったと知ってびっくりしました。
ウッドストック日本版をやりたいとの佐藤三郎さんの願いから1974年に郡山で日本初のロックフェスティバル「ワン・ステップフェスティバル」を企画された時の仲間だったそうです。オノヨーコさんはじめ、そうそうたる顔触れの日本のロックイベントの原点のようなイベントで、当時の記者会見の様子をネットで観ました。オノヨーコさんの言葉が素敵でした。「自分が持った夢を実現していく力を持っていることが嬉しかった。みんなと夢を分かち合いたい。一人で見る夢は心細いけれど、みんなで見る夢は必ず実現する。したことは残り、バトンを渡せる。世界はみんなつながっていて、人間は力強い存在で、孤立していない。みんな連帯して、気持ちをどこかの誰かが受け取っていく…」このメッセージの“夢を持とう”で曲を創りフィナーレに歌われたそうです。
けるぷ農場の佐藤喜一さんも農業と音楽をされていますが、お父様は60歳をすぎてから農業から音楽活動に転身、「おにぎり」という曲は幼稚園児たちに人気で、最初に願われた1000回コンサートは既に超え、70代半ばの今も音楽活動を続けておられるそうです。七菜さんは佐藤さんの家に行かれたことがあり、友人の月家酒店さんと一緒に仁井田本家さんの田植えに行かれたこともあるとのことに世間の狭さを又また思いました。
石川県の紅茶の時間の水野スウさんが、西春歯科の平岩和子さんの診察を受けに来られるとのことに、待ち合わせてご一緒しました。三重県の茅谷さんからの通信“こぴすくらぶ”を読み、スウさんと似た空気を感じていましたので御紹介しようと思って持参し、お見せしたところ、なんとお手元に届いているとのことで驚きました。まだ面識はないけれどお互いの通信が行き来していますとのことでした。 エコール・グロッセ名古屋に参加して下さったご縁で、“こぴすくらぶ”を頂くようになり、視点や語り口が素敵だなぁと思っていましたが、スウさんとつながっておられたことが、とても嬉しく思われました。
そして、若い人たちの新たなつながりも広がりそうでワクワクしています。グロッセ夫妻のお嬢さん明日香さんが、牛飼いさんと結婚され北海道で牧場暮らしを始められました。そしてEco-Branchのステキなイラストを描いて下さったリツコさんのお嬢さん のはらちゃんも牛飼いになり、いつかチーズ作りも、との夢に向かって北海道の畜産大学に入学。鹿撃ちさんの家に下宿されている日々が綴られた楽しい通信が届きました。明日香さんとつながると素敵だなぁと思って通信をゼヒ明日香さんに、とお伝えしたところから、お二人のやりとりが始まったようです。のはらちゃんは共働学舎新得農場にも行かれ、宮嶋さんからチーズのお話を伺え嬉しかったとのこと。若い人たちの柔らかさ、軽やかさはなんともステキです。
「夢をもとう。そして心のおどることをして下さい。毎日ひとつ 誰かの心をおどらせることを 一つして下さい」 オノヨーコさんが、佐藤さんに託されたという詩。三郎さんは、この詩を曲にされたそうです。いくつになっても、どんなところにいても、心ひとつでできることがあることは何と嬉しいことでしょう。
61号
2014.04
5月25日に南生協病院で「2014おもいっきりKAKKOワールド」を開催させて頂きます。今年は、いつかコラボレーションできたら素敵だなぁと思っていた方々とのジョイントでワクワクします。
以前、南生協病院で開催されたAKIRAさんのライブに参加して感動しました。歌の数々に、山元加津子さんとジョイントしたら、さぞ素敵!いつかコラボしたいなぁと思ったことが実現します。かっこちゃんは昨年、AKIRAさんのネアリカの会に参加されてお友達になり、先日は、AKIRAさんが、宮ぷーの病室で小声のアカペラコンサートをされたそうです。
「かっこちゃんから宮ぷーのメールが送られてきた。『きのうはあきらさんに来て頂き、歌をうたっていただいてありがたかったです。感激しました。中でもギフトという曲が印象に残っています。(絵本の「笑いの神様」では)難病なのに、笑うことに一筋の光を見いだしてついには病そのものを克服していく姿が感動的でした。どうかお元気でたくさんの方を僕がそうであるように力付けてください』 むっちゃうれしーねー。」AKIRAさんのブログにありました。
石川県の紅茶の時間、水野スウさんも出会っておられ、メール頂きました。「アキラさんとも、もうつながってるんですね。8月の金沢のライブでお会いしました。紅茶つながりの富山のお母さんと娘さんの病室でライブもしてくれたアキラさん。パズル、っていう歌が好きです。」スウさんとは、笹田雪絵ちゃんを通して出会いました。大好きな人達がつながっていると分かるとウキウキします。
AKIRAさんにライブのことでご連絡したくて、スケジュールページをのぞいた折、「遊 クロージングライブ」というのが目に入りました。ん? 東京新宿で“松の力”を使って下さっている そば処遊さん?、確かめたところ、やはりそうでした。期限付きで借りておられた土地を大家さんに返すため残念ながら7月で閉店されるとのことです。以前、遊の大森さんが出版された「味覚革命」という本を頂戴しました。いいものを出したいと、そば粉に始まり、野菜、調味料など食材を吟味し続ける日々を送った結果、自身の味覚に劇的な変化が起こり、問題なく食べられていたものも、口にすると舌がしびれ、強い脱力感に襲われるようになってしまったそうです。味覚が変わった原因を、ご自身の行動をていねいに振り返って思い当たったのは、農薬、食品添加物、化学調味料など不自然なものを体に入れないこと、薄味を心がけること、そして素材のもつ生命力が感じられる本物を食べること。素材の味わいをしっかり感じる経験を重ねていけば、自ずと舌が自分に必要な食材を選んでくれるようになると書かれています。
お電話さし上げた時のよもやま話で、「友人の三角太郎から「松の力」すすめられたのだけど、その時はもう使ってました・・・」とのことに、又も? 「三角太郎さんって、伊良部島で人工透析患者のためのインターネットTV局を立ち上げられた三角太郎さんのこと・・・?」伺ったらそうでした。お目にかかったことはありませんが、新潟の清水義晴さんからお話を伺っていました。清水義晴さんは、「すべての問題の根源は利己主義で、それがゆえに社会の秩序が崩れてしまう。対極は『公益』。公益社会をつくるカギは、これまで日本を支えてきた150万社あると言われる中小企業にある」と、公益社会の実現をめざして中小企業の応援雑誌「道」を発刊されました。「道」の第一回公益人インタビューが三角太郎さんでした。お父様の病気をきっかけに伊良部島で腎臓透析の方を支援するNPOを立ち上げられ、さほどインターネットTVがポピュラーでなかった頃で、感動してお話下さいました。
2009年のことですがとても印象的でした。それにしても、思いもかけない時に耳にした思いがけないお名前。すべてはみんなつながっていて、時に、天はその姿を垣間見させてくれるのかもしれません。
60号
2014.01
南生協病院で月一回開かれている地球(ほし)の子マルシェで、かめのお茶会を開催させて頂きました。あまり宣伝せず、寒い日でしたから、遊びに来て頂けるかちょっとドキドキでしたが、思いがけない方達がお顔を見せて下さって楽しいひとときを過ごさせて頂きました。
最初に顔を出して下さった若い男性3人。半田市の“社会福祉法人むそう”で仕事をされている皆さんでした。代表の戸枝さんからいろいろ話は聞いているけれど、手不足でなかなかエコ関連のことができなかったけれど、少し始めたいので話が聞きたくて来ました。とのこと、とても嬉しかったです。以前、戸枝さんが御来社下さった時、何でも手作りしているエコ・ブランチに「うちよりローテク!」と驚かれました。喫茶なちゅにパートのお母さん達が大掃除のお手伝いに伺ったり、ラーメンのうんぷーで、義理で買ってもらうものより、品質がよく、環境にも良いものを愛用してもらうのが嬉しい、とDr.Soapを沢山販売して頂きました。きのこ栽培を担当されておいでの方、平飼いの鶏を飼育担当しておいでの方と、むそうさんの活動の広がりを伺うことができ嬉しかったです。
次に顔を出して下さったのは、小さなお子様二人を連れたお母様。“ひろりんたわし”を探していて、うちのサイトを見つけられ、「ひろりんたわし」と「松の力」を購入して下さって以来愛用して下さっているそうです。おっぱいのニオイが取れないので質問したくて、とお越し下さいました。参加して下さった瀬戸の窯の広場の服部さんが、お子さんをあやしながら、近いからうちにも、と話しが弾んでいました。
にんじんCLLUBさんでインターン中の若い学生さんも参加して下さいました。卒論が卵で、平飼いの卵と、ケージ飼いの卵の違い等を調べておられるそうですが、平飼いの鶏さんの見学先がなかなか見つからなくて…、という言葉にすかさず、むそうさん、「ぜひどうぞ!」見学の話がまとまり、どちらも大喜びされていました。あれこれ楽しく話しているうち、「何しているんですかぁ?」と部屋をのぞかれた若い女性とお母様。たまたま通りかかられたのですが、広がっているパンフレット等をご覧になって「松の力、使ってます」。なんと、むそうの利用者さんで、最初に「松の力」を知ったのはむそうさんで、その後エコ・ブランチの通販で購入して下さっていたそうですが、レストランにんじんさんの店頭に並んでいるのを見つけ、病院の帰りにお求め下さっているそうです。こじんまりとした会でしたが、それでもつながりあっていてビックリしました。
岩手で支援活動を続けておいでの山田周生さんから、1月中に関西の方に行きますので、タイミングがあえばお目にかかりましょう、とメール頂いていました。いつ頃かしら、と思っていた矢先、明後日愛知県です、と連絡頂きました。その翌日たまたま開いたFacebookから目に飛び込んできた周生さん、奏ちゃんと愛車!アララと思って読んだら、昨年「ふくしま展」にご参加下さったtomoeさん宅にお泊りでした。周生さんとつながっておいでの名古屋大学の高野先生と一緒に音楽活動をされておいでの方ですから不思議ではありませんが、たまたま開いたところに周生さんだったので、タイミングにびっくりしました。お陰で、周生さん達の動向が分かり楽しかったです。
名古屋の翌日は、鈴鹿に行かれるとのことに、友人が関わっているアズワンコミュニティさんをご紹介しました。鈴鹿の友人はエネルギーについて関心があり、素敵な方達でとても嬉しかったと喜び、周生さんからは「『人が本来あるべき姿』に思いをもたれ、自分たちの手で少しづつ地域の形にされている方がいらっしゃることに感激し、お会いできて本当によかったと思います。被災地からの訪問者もいるようで、じつは共通の知人もおりました!! アズワンの方は、今年は岩手県の北部被災地で講演もされるそうです。やはりつながるものですね」とメール頂きました。
ほんとに、最近は何をしても、どこに行っても、何らかの繋がりがあります。今度は、どんなつながりが見つかるかしらと、初めての人、事もワクワクします。
59号
2013.11
京都で「松の力」をお取り扱い下さっている玄米ご飯の定食屋「アースキッチン」岡田さんからお電話頂きました。大雨の話し等の後、「7月に蓮笑庵さんに伺い、渡辺仁子さんとお話させて頂きました」と、お知らせ下さいました。岡田さんは、何年も前に女性のからだの勉強会をされ、冊子も作られたそうです。もうその会は役割を終え、たまった利益を福島の会の方達に手渡すため福島に行かれた折、仁子さんとお知り合いの若い女性が連れて行って下さったとのことでした。又ぜひ蓮笑庵さんに伺い、仁子さんとゆっくりお話したいと言っておられました。
つい最近、浜松の「あさのは屋」杉浦さんとお電話でお話した折にも蓮笑庵さんの話になりました。「渡辺仁子さんの写真を見て、優しそうなお顔、と思いながら読み進むうち渡辺俊明さんのお名前があり驚きました。以前、静岡にあった俊明さんの“画虫居”によく出掛け、絵や陶器を入手しました。絵は、ほとんどプレゼントしてしまって手元にないのですが、お姉様が亡くなられて閉鎖され、もう手にできないかと思っていましたが福島にあるのですね」と、懐かしがっておられました。仁子さんにつながる縁がいろいろ広がっています。
福島と言えば、ある日、丸山祐一郎さんのご縁で知り合えた富山の上田さんから、福島の方にお知らせ下さいと、福島市で開催されるチャリティコンサートのパンフレットが届きました。ら・さんたランドの鈴木さんに御連絡したところ、お店でそのチケット取り扱っておられるとのこと。こんな風に各地の方が気にかけて下さり、つながっていて嬉しいです、と喜んでおられました。
エコール・グロッセ秋で、昼食時グロッセご夫妻他8人で同じテーブルになりました。食事が出てくるのを待つ間にあれこれ話しをするうち、あまりの繋がり方にびっくりしました。会場をお借りしているコスモホームさんの通信で今回の講座を知り、お母さまと一緒に参加して下さった常滑でお米を作っておられる藤田さんは恵泉学園園芸科を卒業されたとのことに、世津子さんが、「えっ、○○ちゃん知っている?」との問いに、「寮で一緒でした」とのことから、世津子さんの会社のスタッフだった方の事やら、北海道の知人のこと等、次々と知りあいの名前を出し合っておいでの中に耳にした、北海道のフォルケホイスコーレ、川村さんという名前に「ン?」。
緑健文明の草刈善三先生の集いで、ご一緒させて頂いた方でした。そして、同席されていた自動車会社を退職後、農業を始められた三重県の村田さんは、オーガニックの花の栽培もされているという話しから、世津子さんのお友達が、その花を購入されていることが分かりました。あまりに入り乱れるつながりが楽しくて大笑いでした。
他にも、春の講座の折、会場のコスモホームさんでボタニカルアートの展示会をされていた安藤さんに誘われ、夏に続き秋も参加して下さった小池さんが誘おうと思われていた坂部さんは、私がacebookに書き込んだイベント案内をお友達のまさこさんがシェアされているのをご覧になり講座を知って、「小学校4年生も一緒に参加して良いですか?」とお問合せ下さり、もう一人友達を誘いたいのですが――と言われたお友達がなんと小池さんでした。18名足らずの会で、二重三重に絡み合った糸のようなつながり方でした。
参加者は、初参加の小学校4年生、春から皆出席の小学校5年生のももかちゃん、そして上は藤野さんのお母様と3世代(もしかすると4世代)一緒のワークショップは、とても楽しく小学生の発想の豊かさ、しっかりした感想に感動したり、年代を超えて刺激を受けあいました。同じ材料を使っているのに、これほど多彩な作品になるの?!といつも驚かされます。それぞれ創造的で、誰もがアーティストであることを毎回実感します。作品同様、人も同じように十人十色。だからこそ、出会い、つながることの素晴らしさなのだなぁと改めて思われました。
58号
2013.09
エコール・グロッセ夏の講座に、静岡から世津子さんの教え子さんも参加して下さいました。受付を済ませ「松の力使っています」とのことに、どちらでお求め下さったのか伺ったところ、なんと、徳島県上勝町の上勝百貨店さん!「松の力」の旅を思うと驚くやら嬉しいやらでした。最近、初めての会に参加しても、愛用しています、とか、話が聞きたかった、とお声をかけて頂くことが多く有難いです。
8月8日に、福島でパンの宅配を通じ健康と笑顔を届けておられる㈱ら・さんたランドの皆さんが社員研修で名古屋に来られるとのことに交流を深めるチャンス!と、うふふ(うつくしま福島復幸プロジェクト)から、有機野菜宅配の㈱にんじん伊勢戸さん、起業支援ネットの久野さんと私、社長の4人と、ら・さんたさんチーム10人の総勢14名で食事会をすることになりました。
ところが、2011年ら・さんたランドさんの経営発表会でご縁を頂いた、循環と共生の経営がコンセプトの公認会計士で、大学教授でもある天明茂先生から「久々の名古屋での講演会です」と届いたご案内が、同じ8日夜でした。なんとも残念!と思っていたところ、先生から「御社に伺いたい」、と御連絡頂きました。そこで、ら・さんたさんの予定を少し変更して頂き、天明先生が来られる時間に、皆様にもご来社願いました。社内を見て頂き、少し雑談の後、先生がミニ講座をして下さいました。倒産企業の立て直しを専門にして来られた先生が語られたのは、人間力を高める事、ご先祖様からのいのちの連環、魂のお話でした。夜の講座に伺えず残念でしたが、密度の濃い贅沢な時を過ごさせて頂きました。
宴は、勿論大盛り上り、伊勢戸さんは、ら・さんたランドの皆さんの熱い思いに感動され、今年の経営発表会に社員さんと一緒に参加。翌日、同じ宅配の仕事なので合同ミーティングをして互いに刺激を受けあわれたそうです。新潟の清水義晴さんのご縁で出会えた鈴木社長さんと震災をきっかけに深まったご縁の輪が広がっています。
ある日、御来社下さったお客様は、わっぱんさんで「松の力」をお求め下さっていました。2年ほど前のある日「いつか自分のお店でも扱いたい」と、スタッフの方と話されていたところに丁度うちの社長が伺いご紹介頂いたそうです。お店が物販を止められたのでネットでご注文下さっていますが、一度伺いたいと、充填に起こし下さいました。ライブハウスでオーガニック料理をだされ、貸しスペースとして上映会も、とのことに「カンタ!ティモール」、と口にしたとたん「奈っちゃんも以前からの知りあいで、お店のオープニングライブは、定さんの演奏で…」ということから始まり、旧知の人の名前が芋づる式に出てきました。私がマクロビオティックを知るきっかけになった故中山光子さんのお店を事務所として借りておられ、そこを改装して今のお店にされたそうです。社長が、お目にかかったことを耳にした時から気になり検索したりしていたのも、そんな見えないつながりがあったからでしょうか?一人のうしろには沢山の縁がつながっているものと改めて思いました。
その「カンタ!ティモール」監督広田奈津子さんと山元加津子さんに、似た空気を感じ、いつかジョイントしたいと思っていたところ、お友達の薦めでご覧になった映画の感想をかっこちゃんがメルマガに掲載されたのを読み、やはり予想通りと嬉しくなりました。その後、小松市での広田監督の懇親会に誘われ、意気投合して夜中まで話されたそうです。AKIRAさんと加津子さんのジョイントも妄想の一つです。7月の会には、スケジュールが合わず残念でしたが、なんと最近かっこちゃんはAKIRAさんが広めておいでのネアリカに魅かれ、ネットで調べて、お友達からも話を聞いていた歌手AKIRAさんがネアリカを広めているその人であると知られたそうです。天では既にみんなつながっていて見える形になるのに、ちょっと時間差があるだけかもしれません。素敵な人達が、ぐるぐるとつながり網目が張り巡らされていると想うと嬉しくなります。
56号
2013.03
廃食油で日本一周中、岩手に滞在中に東日本大震災に遭遇、3日後から救援物資の運搬を始められた山田周生さん。釜石に居を構え、地域に根ざした復興を地元の方々と共に創りたいと菜の花プロジェクトはじめ、さまざまな支援活動をされています。先月、「車検で大阪に来て、西日本を廻っています」とご連絡頂きました。
お目にかかって開口一番、「四国の上勝町に行ってきました。オープン間も無い上勝百貨店に“松の力”量り売りコーナーがありビックリしました!」写真もとって来て下さって見せて頂きました。嬉しかったです。ゼロウェイストとおばあちゃんの葉っぱビジネスで有名な上勝村の事を知ったのは、2003年滋賀県立大学で小貫先生が主宰されていた「菜園家族の学校」でした。持続可能社会というのは高齢化のすすむ自分たちの村の切実な問題と言われながら、おばあちゃんたちが葉っぱを集める彩り事業や、ゴミゼロを目指されている取組みの素晴らしさに、いつか上勝村で、“松の力”の量り売りをして頂けたらと、密かに思ったものでした。
昨年、その上勝町の地域住推進機構様からお問合せ頂きました。ますます進化されて、ゴミのでない品を推奨し、野菜等と村内宅配されておいでとのことでした。そこでお取り扱い頂くことになりとても嬉しかったのですが、百貨店で量り売りも始めて下さったとのことに感激して担当の方に早速ご連絡しました。「山田周生さん御存知ですか?」と喜んで下さいました。想いは、時を超えて形になって現れるものと思いました。
久しぶりに小貫先生の「里山研究庵Nomad」のサイトを拝見したところ、4月3日に名古屋でご講演下さるサティシュ・クマールさんが、2007年京都で講演された折に小貫先生も御一緒されていたことを知りました。同じような方向を向いておられますので、ご縁があっても不思議ではありませんが、たまたま開いたところでサティシュさんのお名前が飛び込んできて嬉しくなりました。私が最初にサティシュさんのことを知ったのは、エハン・デラヴィさんのDVD「地球巡礼者―Earth Pilgrims」でした。話されるひとこと一言に引き込まれました。その後、ナマケモノ倶楽部さんが製作された辻信一さんとのドキュメント「今、ここにある未来」を拝見し、直接お話を伺いたくて東京の講演会に行きました。その時、いつか名古屋でもサティシュさんのお話を伺えたら、と願っていた事が思いがけず形になり本当に嬉しいです。
東日本大震災から3年目に入り、さまざまな情報が流れるようになりました。NHKスペシャル『何が命をつないだのか 〜発掘記録・知られざる救出劇〜』を見ました。レスキュー隊の方達のすさまじい救出ぶり、孤立無援の状況に陥った牡鹿半島の集落を救うため立ち上がられた、静岡県の漁師さんを始めとする海の男たちと、集落の人々の仲間を思う気持ち。極限状況の中での命の記録と証言に、息が詰まる思いでした。そして縁というものは思いがけない形で表に現れるものと思いました。
静岡の猟師さんは、「伊勢湾台風の時、三陸の人から恩義を受けた。その恩を返したい」日頃から聞いていたおじいさんの話を思い出し、牡鹿半島の方の窮状を知って支援にいくことを決意されました。が、危険な所に向かうので、インドネシア人の船員さんに聞いたところ、その方は、インドネシア津波で日本人に支援してもらった恩義があるからと快諾されて船は三陸に向かったそうです。「困った時には助け合わなければいけない。船乗りの仁義ですから」と全国の漁師さんが支援物資を積んだ船で三陸へ向かわれた様子が放送され、胸が熱くなりました。情けは人の為ならず、と言いますが、時、所を超えて縁が、紡がれ続けることを目の当たりにした思いでした。
55号
2013.01
「聞いて下さい!」仕事の合間を縫って夜9時頃に現れ、食事もそこそこ時間を惜しむようにアイディアや企画について話し始めては、夜中「明日早いので・・・」と、帰っていかれたワンデイシェフレストラン・ねぎ焼き茶屋の海山裕之さん。昨年夏から上顎癌の治療をされていましたが、年が明けた1月4日、残念なことに天に帰られました。
海山さんとの出会いは、1990年代初め東海ホリスティック医学の恒川先生がやっておられた「湯の山ゆらぎ園」でホリスティックライフネットワーク石川光男先生の宿泊セミナーを開催させて頂いた折。管理人になって間が無い海山さんは沢山の宿泊受け入れは初めて、私も宿泊セミナーの企画は初めてで、模索しながら無事終了。それがご縁で、以来いろいろお世話になりました。ゆらぎ園では、手塚郁恵先生のセミナーやジョン・エンライト博士のワーク、丸山さんのライブ等々沢山の楽しい思い出があります。岡部明美さんや、クリニックの看護婦さんだった“ぼのちゃん”こと高橋さんはじめ沢山の方達とのご縁が深まりました。そのセミナーで、いろいろな方の話を耳にされたのが、ワンディシェフやコミュニティ等NPO活動に関わっていく原点だったと後に話しておられました。
その後、海山さんのご紹介で尾高高原の雑木林にある古い家を借り、月に一度集まっては、「鈴鹿山麓日本村構想」始め、さまざまな妄想を仲間で広げる中、ワンディシェフ構想が実現し、どんどん夢を広げてゆかれました。三重県のダムに沈む村にみんなで出掛けた折には、後に、万博会場「トトロの家」造りの親方をされる大工の中村さんや市川さんと出会いました。数年後、尾高の家で居合せた、ぼのちゃんと市川さんが結婚されることになり、麻里さんは、仲よしのぼのちゃんの知り合いだった小林彰夫さんと結婚して飯館村に行かれました。新潟の清水義晴さんと、その勉強会仲間達で、循環者ネットをつくり、本も作り、集まってはワイワイ…。思い起こすと沢山のつながりや、事がありました。
お料理が得意な方達が日替わりでシェフになるワンディシェフのコミュニティレストラン。全国に広まるにつれ忙しくなられ、この2、3年はゆっくりお話する時間が少なくなりました。それでも、合間を縫っては尾高の集まりに顔を出され、新たなアイディアをあれこれ語り、いろんな夢を広げる人達と、「バクたちみんなお金がなぁ~い!」と言いながら語り合う楽しい一時を過ごしました。
【~その企画を練っていた時期に、「我が家はお米を買うお金がない」状況に陥っていたのですが、周囲の方たちがその窮状を見かねて、間近に迫っていたコミュニティレストランの開店祝いを前払いしてくれたおかげで、何とか食いつないだといったことがありました。~】 2002年7月、通信「ゆっくりずむ」の創刊準備号の「Beな人」にご登場頂いた時の文章です。
心血を注いで形にされたワンディシェフシステムは素晴らしいものです。が、「お金持ちのぼんぼんがやっていると思われてますわ」とか、「何故か困るとプレゼントされたりするので、有難いです」 楽しそうに話されるものの寝食を忘れて動いておいでの様子に心配になり、少しはご自分の生活も考えて・・・、と口にしたこともあります。息子さん達が大人になった時、豊かなコミュニティで生きて欲しい、それが原点だったNPO活動。
「人の中に入るのが実は苦手で、昔から、少し離れたところで立っているような感じで、何か頼むのも得意でない」ある時話されました。だからこそ、コミュニティへの思いが深かったのかもしれません。「こんなん どうです?」目を輝かせながら、思いを語られる海山さんにもう会えないのは、残念でたまりません。もう少し、妄想でも何でも聞いていたかったなぁと思います。
同じく、ゆらぎ園の頃ご縁ができ、イベントにも何度も参加して下さった成富さんも、昨年秋天に帰られました。今頃、天で再会されているでしょうか…。一人の人とのひと時の関わりでも、それにつらなる沢山の出会いがあります。人が人とゆくりなくも出会え、関わることができることは賜物と、しみじみ思います。
52号
2012.02
仲間たちとの福島の旅の初日、旅の音楽家丸山祐一郎さんのご紹介で、福島市内にある仙台藩軍事局や、一時裁判所も置かれていたという400年の歴史ある曹洞宗の長楽寺さんから始まりました。御本尊様は幸い無事だったそうですが、後は大変な状況だったのを歴史的建物なので、なんとか本堂を修復されたばかりとのことでした。まだ倒れている灯篭等が、被害が大きかったことを物語っていました。檀家さんはじめ皆さんのお役に立ちたくても自分が揺らいで…、と話して下さるお姿に、解のない問題を抱えて暮らされる福島の皆様の悩みの深さが胸に迫る思いでした。お話を伺いながら、ふいに知り合いの高山の和尚さんの顔が浮かび、もしかしたらお知り合いかも、と思いながらお寺を後にしました。名古屋に戻ってからFacebookで長楽寺の住職さんの友達リストに丹生川村の原田和尚のお名前を見て、あぁ、やっぱりご縁があったのかと早速ご連絡したところ、「老師は大先輩です。」とのこと。原田和尚さんとは、しばらくご無沙汰していましたが、3月に久しぶりにお目にかかったところです。縁の不思議を改めて思いました。
続いて、ら・さんたランド鈴木さんのご紹介で、ダライラマ14世とご縁の深いマンダラミュージアム・アーユルヴェーダ薬草園を訪問しました。本格的なマンダラが数多く展示されていました。行く前にHPを見たところハーブの女王と言われるホーリーバジルの栽培、販売とありました。エコ・ブランチでもイマジナルさんのホーリーバジルをご紹介していますが、そのきっかけは、緑健文化の草刈先生の会でご一緒だった神野様からのご紹介でした。
イマジナルの伊達さんに、マンダラミュージアムに伺い館長の大矢様とおめにかかります、と御連絡したところ、伊達さんにホーリーバジルを伝えられたのはその大矢様とのこと。ミュージアムに伺ったら、「伊達さんとお知り合いだそうですね」と、お声をかけて頂きました。薬草園のハーブたちはまだこれからでしたが、曼荼羅をしっかりご説明頂きました。マンダラが好きなので、お話も興味深く、再度じっくり、ゆっくり拝見したいと思いました。
その日の宿泊先である「NPO法人りょうぜん里山がっこう」に向かいました。廃校を利用した施設で米粉パンを焼いたり、さまざまな教室が開かれているところです。校庭に建てられた木の香りがする家屋に宿泊させて頂きました。原発事故の前はとても人気で、なかなか宿泊できないくらいだったそうですが、事故以降閑古鳥で、最近やっと少し訪ねて下さる方が出てきたとのことでした。
食事を頂きながら何気ない話をしていた時、校長の高野さんの口から新潟の清水義晴さんのお名前が出てビックリしました。なんと里山学校を始められる前に、清水義晴さんの未来デザイン講座を受講され、新潟へ行って、河田珪子さんの地域の茶の間も訪問されたそうです。とても居心地良く、初めてという感じがしなかったのは、ベースになる部分が共通しているためかと思いました。お目にかかれませんでしたが、そこの事務局長さんは、飯舘村の小林麻里さんの旧知の方で、麻里さんが独身時代セミナーを企画された折、来ておられ、うちの社長は名刺交換させて頂いたことがあるそうです。
今回で二度目の福島ですが、初めて訪問した先々でも、つながるご縁の有難さに感謝です。
51号
2012.04
東日本大震災をきっかけに生まれた新しいつながり、旧知の人との縁の深まり、さまざまに起こっています。震災直後に旧知の江場さんから、農哲学院さんが書かれた放射能対策に関するメールが届きました。味噌・海草・玄米といった食養生や、免疫力アップの方法等が書かれた中に、緊急時に松の樹液、と書かれており、詳しく伺いたくて連絡させて頂きました。それがきっかけでご縁ができた農哲学院の遊さんが名古屋に来られるとのことで、思いがけずお目にかかることができました。あれこれ話に花が咲き、初めてお目にかかったとは思えませんでした。降ってわいたようなご縁ですが、一昨年のメッセナゴヤで、たまたまご縁ができた岡崎のガラ紡を広めておいでのファナビスの稲垣さんから、「農哲学院さんとつながっておられるのですね」と、ご連絡頂いたり、いつもお世話になっている井上内科クリニックの井上淳子先生が、農哲学院代表の先生とご縁がおありで糸がつながっていました。ほんとに不思議なものです。
3月、南相馬市で障碍を抱えた方と健常の方が共に働く場をつくられている“ほっと悠”の村田純子さんからお便りが届きました。震災後、通信をお送りしてよいものかどうか悩みつつ、ご不在であれば戻ってくるので安否を知ることができると思いお送りしていました。郡山と南相馬を行き来しつつ、残られた皆さんの仕事づくりを相変わらずのパワーで頑張っておられるご様子が綴られていてほっとしました。その“ほっと悠”の村田さんが力を入れておられるのが、87歳で現役のNPO「長善の会」理事長岩城祐子さんが考案された「おかず箱」。御主人の里帰りで東京から秋田へ行くたび耕作放棄地が気になり、そこの農産物でさまざまな食品販売をされる中の一つです。50種のおかずを長期保存できるレトルト食品とし、一箱に詰めあわせて、非常食や単身赴任のお父さんの食事用に考案されたもの。食べた分の補充もできるという優れものです。(お問合は0244-24-5557)今なお高速バスで東京―秋田を行き来されているという岩城さんに触発され、先輩を追って邁進しなくては!とお元気でした。
もうお一人元気な女性――丸山祐一郎さんの応援団長のような越谷の安斎作子さんからもお便りが届きました。震災後、市が受け入れられた福島県双葉郡楢葉町の方々や、福島県以外から避難してこられた方が少しでも暮しやすいようにと、安斎さんたちは避難所に何度も足を運び、話を聞かれたりするうち、皆さん元気を取り戻され、一緒に過ごされた人達がバラバラにならないよう、自立の一歩を踏み出そうと「一歩会」を結成。避難してこられた方の詩に、本多祐子さんが曲を作られたテーマ曲もあるそうです。一人の力は小さいけれど、非力ではあるけれど、無力ではないことを確認しあい、帰村に向け、又一歩前進しよう、と作られたリーフレットには「東日本大震災にもがおんねぇで、がんばっぺ!みんなで心つなげばだいじょうぶさ」とありました。 「もし、楢葉町に帰れたら、今度は私がまちのため、他の人のために尽くしたいと思っています。わが事のように動いてくださったみなさんのように。」という会長さんの言葉が心にしみました。
テレビの番組を見ていて、仮設住宅等で、バラバラになり、コミュニティを失われた方達が、前を向いて生きていかれる事の大変さを感じていましたので、「一歩会」の皆さんのことを知り、改めて、つながり、仲間がいることの力を感じました。避難してこられた一歩会の皆さんは、安斎さん達と一緒に、「日本を美しくする会」の方々が重点的に行かれていた雄勝町の支援にも行かれたそうです。安斎さんのお便りにも「被災地の密な連携の年です」とありましたが、さまざまな活動をしている人達が、どんどんつながり出し、新しい社会が始まる胎動を感じます。
49号
2011.11
信州安曇野の舎爐夢ヒュッテに初めて伺ったのは、かれこれ20年近く前。新潟の清水義晴さんが、町づくりの仕事で信州へ行かれた折シャロムの話を耳にされ、しょっちゅう白馬へ行っていた私達に「きっと気に入りますよ」、と教えて下さったことがきっかけで訪ねました。
ほとんどご自分で作られた建物の外観も勿論ステキでしたが、薪で暖房しながら温水を廻す床暖房、先ず溶接を学んでから作られたという重厚なドアの取っ手…。どこもこれも手作りで、聞きしに勝る素晴らしさでした。山小屋の管理人をされた後、結婚し、子供が生まれた仲間が集える場を創りたくてヒュッテの建設を思い立たれたとのこと。完成した暁の割引宿泊券付きで山小屋仲間に呼びかけた資金づくり。沢山の人の協力で集まり、基礎工事以外は仲間の手作りで3年かけて完成させたそうです。今のシャロムコミュニティの原点が既にそこにありました。
そこここに大町の画家、斉藤清さんの初期の作品があり、思わず心が弾んだものでした。ちょうど来ておられたお客様が、できて間もない「幸せ気分」を求めておいでの方だったという嬉しいハプニングもありました。
若い頃、休みがあると、四季を通じ白馬の五龍遠見に出かけていました。そこではオーナーの武田さんの友人達や私たちのような常連が、いつもワイワイやっていました。その一人、松本の有賀さんに教えてもらって作品展に出かけたのが、斉藤清さんとの出会いのきっかけでした。しばらく後、武田山荘がホテルになり、そのオープニングパーティで、思いがけず再会して以来、信州に行く時は、大町のお宅にお邪魔するようになりました。
静かな音楽が聞こえるような斉藤さんの作品のモチーフが、そこここに見かけられるお住まいには、大きなテーブルと懐かしい小学校の椅子が置かれ、心地よくて時の流れを忘れてしまいます。清水義晴さんもきっと気に入られるに違いないと思い、ご一緒したところ、やはり意気投合され、以来、博進堂さんで、コラージュ教室や、流木遊び等、さまざまな御縁が広がりとても嬉しいです。後になって、ご縁を作って下さった有賀さんのお父様は、シャロムの基礎工事をされた大工さんと分かり驚いたものでした。
ビリンバウの丸山さんのお父様は画家で、五龍が大好きだったそうなので、どこかで斉藤さんと接点があるのでは、と思っていましたが、最初の出会いでは分からず、斉藤さんとご縁のある小林さんが企画された「植木茂アトリエ記念館」で、丸山さんのライブがあった折に、斉藤清さんが生前のお父様と一緒にお酒を飲んだり、家に遊びに行かれていたことが分かり、お二人ともとても喜んでおられました。
著名な心理学者であった故ジョン・エンライト博士が、環境問題は心の問題であることを伝えて廻られるようになり、名古屋で初めて開催した講演会の参加者に、パーマカルチャーの本を日本語に翻訳された小祝慶子さんがおられました。パーマカルチャーとは何か知ったのは、その時が初めてだったように思います。その後、臼井さんの情報で、シャロムパーマカルチャー塾のこと等広がる様子を垣間見させてもらっています。いつも予約で一杯のシャロム、なかなか伺うことができませんが“ほ・の・ま”の屋号で個人的な活動を始めた頃、今のようなネット環境が無かった時代に、シャロムのサーバーを貸して下さり、情報発信のサポートをして頂いて以来、ネットを通じて、つながり続け、同時代を生きている有難さを感じています。
48号
2011.09
パンの宅配をされている㈱ら・さんらランドさんの全体ミーティングに参加するため、福島へ行きました。ら・さんたランドさんは、社内の経営ミーティングを外部の人達にオープンにされていて、全国各地から時には、社内の人と同数、又は、それ以上の人数の参加者がある有名なミーティングです。エコ・ブランチ商品のお取り扱いを始めて下さったことから、少しお話する機会も与えて頂きました。聞きしに勝る感動的なミーティングでした。こんな会社にできたら、こうだと良いなぁが、すべて形になっている、そんな感じでした。社員の皆様、パートナーの方々がイキイキと、見事な一日を運営されていました。新潟の清水義晴さんから、「ほんとに良い人です」、と社長の鈴木勲様をご紹介頂いたのが7年程前、そのら・さんたランドさんと仕事もご一緒できるようになり有難いです。
ミーティング会場は郡山でしたので、前日にけるぷ農場さんと、今年が創業300年の蔵元、仁井田本家さんに連れて行って頂きました。あいにく佐藤さんはご不在でしたが、鶏舎と土壌実験の場を見ることができました。仁井田本家18代さんは佐藤さんと親しく、一緒に自然農を進め、今も新たな方向性を模索しておいでとのお話を伺い、蔵も見学させて頂きました。仁井田さんのお酒は全て自然栽培米で作られ、契約栽培米だけでなく、会社でもお米づくりに取り組んでおられます。伝統は、日々の地道な取り組みで守られ、進化し、バトンを渡されてゆくものことや、日本酒はお米と水の芸術であり、豊かな自然あってこそと改めて実感しました。仁井田さんの地域は放射能のクールスポットなのですが、新米がどうなるか心配されつつ、400年の時には子孫が喜べるよう、できるだけのことをする、というお話に、その時間軸の長さに圧倒される思いでした。仁井田さんでお酒を買って帰ろうと思いましたが、名古屋で「松の力」の量り売りもして下さっている“みのや北村”さんが、仁井田本家さんの「田村」というお酒の応援団長と伺い、購入は名古屋で、と試飲のみで帰りました。
ミーティングの翌日は、蓮笑庵さん経由飯館村へ。渡辺仁子さんは、展示会でご不在と伺っていましたが、見学だけでも…、と出掛けました。あいにく表玄関の方は車が止まっていて通れず、裏へ回ったところ、門の前の車から出て来られた女性が、「あと30分くらいで出掛けますが、母はまだいます。」とのこと。あわてて携帯に電話したところ、目の前に現れた仁子さん。思いがけない展開に大騒ぎでした。お忙しい中を、折角だからと、山に点在する建物を見せて頂きました。どこもかもが、故俊明さんの思いが凝縮した、濃密な空間で、心地よく時が流れてゆきます。ら・さんたランドの鈴木さん達をご紹介することができ、一緒に福島が“福の島”となるよう手を繋いで、と言い合っておいでの様子に嬉しくなりました。園芸療法のグロッセ世津子さん一家も蓮笑庵さんに来られたことがおありとのことで、仁子さんと旧知の仲でした。
奈良裕之さんからボブ・サムさんと語りと祈りの音の「ともしびの巡礼」をするので、9月に名古屋でしませんかとお電話頂き、以前からボブさんとお目にかかりたかったので小躍りする思いでした。丁度その時入院中のグロッセ・リュックさんが、昨年末、ボブさんと出会い意気投合されたと伺っていましたので、「ぜひご連絡を」とお伝えしたところ、以前に奈良さんの会を開催されたことのある花巻のご自宅で、9月14日に奈良さんとボブ・サムさんの会が開催されることになったそうです。植物と話をされるリュックさんと、ボブさんがご一緒されるギャザリング。さぞ素敵な事でしょう。ジグソーパズルのピースが埋まるようにいろいろなことがつながっていきます。
47号
2011.07
5月に、有機野菜の宅配会社㈱にんじんさんの生産者である郡山のけるぷ農場佐藤喜一さんの「ヒバクもヒドクも浄化して元気な土を取り戻そう」というお話会がありました。「ピンチ」を「チャンス」に変えるべく、農場の浄化に取り組みたいと願っておいでと伺い、微生物の平井孝志先生と一緒に参加させて頂きました。意気投合され、平井先生の微生物さんたちで土地の浄化実験を進めていこうということになりました。
その後しばらくして、それまで陸前高田へボランティアに行っておられた若い友人、戸上さんが、今度は福島に行き、共通の友人である飯館村の小林麻里さんも訪ねられるとのことに、けるぷ農場の佐藤さんの所も廻って頂くことになりました。車中泊は禁止されていたので、福島市のら・さんたランド鈴木さんに、宿泊先をご存知ないか伺ったところ、佐藤さんの卵で商品を作られたことがおありで、戸上さんが行かれる日は、都合がつきます、と宿泊先の手配だけでなく、駅へ出迎えて下さり、農場まで同行して下さったそうです。
ら・さんたさんは、エコ・ブランチ商品も扱って下さっていますので、立ち上げ時から一緒に仕事をしていた仲間である麻里さんをぜひご紹介したいと思いました。この時は、タイミングが合いませんでしたが、6月に戸上さんが再度行かれた際、会って頂くことができ、新たなつながりができました。
同じく福島県の田村市に故渡辺俊明さんのアトリエ「ギャラリー蓮笑庵」があります。奥様の仁子さんとお目にかかったのは、かれこれ20年近く前、名古屋の知人の所で開催された俊明さんの作品展の折でした。その後は、賀状や通信のやりとりのみでしたが、地震の直前、本のご注文を頂きました。入荷が遅れ、発送できるようになったのは地震後。福島なので、お電話さし上げた時は展示会で県外に出ておられご不在でしたが、御無事とのことでほっとしました。
その後のお電話では、一気に10数年の時を超え、ついこの前お目にかかったばかりのよう。しかも京都の帰路、途中下車して下さって、お目にかかることもできました。地震後、蓮笑庵は、避難される方や、ボランティアの方達が宿泊され、ご自身も避難所へボランティアに出かけ、障害のある方や、認知症の方等の居場所がないことに気づき、そんな方達の止まり木のような場をつくりたいと思うようになられたそうです。折角なので、そんな場づくりに詳しい、むそうの戸枝さんや、鈴木直也さんをご紹介したいと思いました。直也さんから、「丁度その時間は、駅近くでミーティングなので終わり次第向かいます」とのメール。話が弾んでそろそろ、という時、直也さんが戸枝さんと一緒に来られビックリ!打ち合わせ相手というのが、なんと戸枝さんその人で、東北の情報交換もでき、とても喜んで頂きました。
仁子さんとあれこれお話していた中で出た、かわいさんというお名前に、もしかしたら、かわいみかさん?と伺ったところ、以前、松の力を、とうあんさんで販売するきっかけを作って下さったその方でした。その上、久しぶりに奈良裕之さんと電話でお話しする中に、又かわいさんのお名前が出てビックリしました。東北は、あまり地縁が無いと思っていましたが、地震を機に、さまざまなつながりが浮上してきたようです。
古い友人である根本さんも、生まれ育った故郷が原発の町。この数年関わってこられた竹と、平井先生の微生物で故郷を再生したいと願われ、今、仲間たちで「うつくしま福島再生プロジェクト」を進めようとしています。新旧取り混ぜたつながりが広がっています。
46号
2011.04
廃食油で日本一周中の山田周生さんが、岩手でグロッセ世津子さんのお友達のところに滞在中に地震発生。3日後から救援物資の運搬を始められました。何か運ぼうにも情報もなければ、災害センターのようなものも機能していないので、自分たちで物資を運び、現地の情報を収集して、その時々必要なものを集めるというきめ細かな支援です。ガソリンが手に入りにくいので救援物資が集まっても、届けられない状況の中、廃油から燃料を作って走るので、状況に左右されないバイオディーゼルカーの面目躍如です。玉虫色のバスコファイブに子供たちが大喜びで、それを見ているだけで元気になれると、皆さんが喜ばれています、と世津子さんから伺いました。
地震の折は埼玉のご自宅におられたグロッセさんから、「花巻の友達と連絡を取り合い、支援物資を集める窓口ができました」とご連絡頂きました。みんな何かしないではいられない、何かしたいという思いに溢れていますからあっという間に、すごい量が集まり、農家の倉庫なのでパンク状態という嬉しい悲鳴だったそうです。いろいろな人が動かれ、届いた支援物資お願いメールも転送すると、どこもスゴイ勢いで集まるとのこと。日本中、世界中の応援のネットワークをもし目にすることができたら、縦横無尽に重なり合っていることでしょう。想うだけで目眩がしそうです。
ある日、浜松の中小路太志さんから電話が入りました。いつもの調子で、「時間ある?紹介したい人がいるんだけど、・・・」今回のBeな人、鈴木重子さんとのご縁の始まりでした。山元加津子さんのメルマガに「重子ちゃん」とお名前が出ていた記憶がありますが、有名なジャズ歌手らしい、ということ以外はほとんど知らず、「嬉しいなぁ」と思って出かけました。とても多才なのに、それを感じさせないやわらかな空気で、素敵な感性にすっかりファンになりました。地震のあと、名古屋でライブがあり、その翌日もお目にかかり、ゆっくりお話を伺えました。
その頃、通信を発行する期日は迫っているものの、どうしても筆が進まず、こんな時、一体何が書けるのだろう、何をお伝えできるのだろうと悶々とした日を過ごし、Beな人も、透明で、ピュアないのちの人にお願いしたいと思いましたが、具体的に誰、とあてがある訳ではありませんでした。鈴木重子さんとお話していて、そのピュアさに、どうしても登場して頂きたいと思いました。原稿料もなし、全く無名の、小さな会社の通信に、厚かましい限りなのですが、お願いしたところ、お忙しいにも関わらずお引き受け下さって、素敵な文章をお寄せ頂きました。
重子さんのCDはとてもステキで、ワン&オンリーとの表現がぴったりで、固くなった心がほどけてゆくようなやわらかな歌声でした。その中のバイオリン演奏が懐かしい調べでした。“金子飛鳥さんでは?”と思い、ジャケットをみたら、やはり金子飛鳥さんで、プロデュースもされていました。嬉しかったです。1990年頃だったと思います。あるメディテーションセミナーでご一緒したことがありました。お話も、描かれるものもキラキラしていて、ステキだなぁと思ったらミュージシャンとのことで、セミナー後、名古屋でのライブのご案内を頂き、すっかりファンになったその人でした。
先日も、中小路さんと話していたら、ふいに、「スズキユキジさんって知っている?」「えっ、天竜の?」又も懐かしい名前です。2002年頃、ギャラリーThis is it で開催したエハン・デラヴィさんの講演会や、べてる祭りに参加して下さいました。引っ越されて連絡先が分からなくなっていましたが、突然再会した気分でした。一度できたご縁は、いろいろ形を変え、つながり続けるのかもしれません。星の数ほどいる人の中で、出会えることは、やはり不思議です。
45号
2011.02
異業種交流会ABCフォーラムの講師として旧知の江場さんが来られました。名古屋で医療用酸素の会社を経営され、「EBAシンポジウム」など、“いのち”と自然の大切さに留意し、社会への様々な貢献や文化活動を実践しておられます。主宰されたガイアシンフォニーの上映会だったでしょうか、初めてお目にかかった時の記憶がはっきりせず、いつしか知りあっていた感じで、度々お目にかかっているものの、きちんとしたお話を伺ったことがありませんので、とても楽しみにしていました。 いろいろお話される中、20年近く前の、マクロビオティックとの出会いについて話された折、「カリスマ的な女性から久司道夫先生を紹介され・・・」、とのくだりで、ある方の顔が浮かびました。終了後、伺ったところやはり旧知の中山さんでした。
もう天に帰られましたが、御自身のガン体験からマクロビオティック研究家となられた方です。初めてお目にかかった日のことは鮮明に覚えています。今も不思議なのですが、ある日我が家のFAXに送り主不明の久司先生の講演会案内が入りました。初めて聞くお名前、内容でしたが、心惹かれ、カバンに入れて持っていました。その日の夜、なじみのギャラリー“THIS IS IT”へ出掛け、話していたところへ、素敵な女性が入って来られました。手にあったのは、我が家に届いた久司先生講演会のパンフレットで、思わず、「その会何ですか?興味あるのですが・・・」と聞いてしまいました。それが、その会の主催者であり、THIS IS ITのオーナー浅野さん、通称ジャイッシュのお友達でもある中山さんとの出会いでした。 それまで会ったことのない、いかにも大人の女性という感じの魅力的な人でした。
早速、講演会に参加しました。終了後、「この会に来ない、素晴らしい先生なの」と、お誘い下さったのは感性論哲学の芳村思風先生の勉強会でした。そこで、又「エッ?」でした。その少し前に、ABCフォーラム代表だった天野先生から、芳村先生が書かれた文章のコピーを頂いていました。それに感動し、いつか実際に御講演を伺う機会があれば、と思っていたその先生でした。勿論、喜んで参加させて頂きました。数回参加した頃、中山さんは御病気が再発し、帰らぬ人となられました。芳村先生に深く傾倒され、勉強会をとても大切に思っておいででしたが、10回シリーズの7回で中断する形になりました。深く思いを傾けておられましたから、中途であることは、さぞ心残りでは…、と思い「差し出がましいのですが、他にどなたも継がれないのでしたら、残りの会を代行しましょうか」と芳村先生にお話させて頂いたところ、違う形で続けてもらえれば、とのことに、感性論哲学の会を始めました。それが10年以上続けさせて頂くことになるのですから、本当に縁とは不思議なものです。
そして、ABCフォーラムで、江場さんに、感性論哲学の会をさせて頂くことになった経緯をお話したところ、なんと江場さんが中山さんに芳村先生を紹介されたとのことでした。人の縁は、どこまで絡みあい、つながっているのでしょう。THIS IS ITへ初めて行ったのは、移転する小学校跡をどう活かすか、という話し合いに誘われてのことでした。それが無かったら中山さんとの出会いも、思風先生とのご縁もなかったでしょう。知らないうちにジャイッシュとも親しくなり、べてる祭りのミーティングや、前夜祭等々さまざまにサポートしてもらうようになりました。ちょっとしたはずみのようなことが、かけがえのないものとなってゆくものと、天の配剤としか言いようのない縁のからみあいに、出会うひと、こと、ものに感謝の念が湧いてきます。
44号
2010.11
「つながるいのちの感謝祭~いのちの手ざわり感じていますか」もつながりがいっぱいでした。起業支援ネット代表の久野さん、有機野菜宅配の㈱にんじんの伊勢戸由紀さんと一緒に企画をすすめ、毎回のミーティングがとても楽しみでした。起業支援ネットさんは、前代表の関戸さんと長いご縁があり、お嬢さんである現代表の久野さんともこうしたお付き合いでき有難いことです。伊勢戸さんとは10年近く前にお目にかかり、イベント等で顔を合わせたりしていたものの、深いご縁には至っていませんでしたが、お母さん大学の講演会で、席をご一緒させて頂きグッと距離が縮まり、Beな人にも登場して頂きました。ミーティングは、スタッフで関わって下さった方達もさまざまな企画をされておいでなので笑い転げながら、アレヨアレヨという間にいろいろ決まってゆきました。タイプの違いが絶妙なコンビネーションになり、協働の力を改めて実感でき、嬉しかったです。
あいにくの雨模様でしたが、だから参加できました、という方もチラホラ、さすが運動会・行事目白押しの季節ならでは。交流会で演奏して下さる丸山祐一郎さんと、こやまはるこさんも午前中から来て下さいました。ブースの一つ、エコクラフトさんのところで、はるちゃんが、とっても嬉しそう。聞けばギフト用にシナマイロールが欲しくて3日前ネットを検索し、気に入ったお店をみつけたけれど、名古屋・大阪と演奏ツアーが続く為、帰ってから頼もうと思ったのがエコクラフトさんだったそうです!
会が始まってしばらくした頃、“ほめ言葉のシャワー”の中西万依さんの顔が見え、びっくりしました。なんと、10時頃「今から感謝祭に行ってきます」と、お友達からメールが入り、それを見て 「行こう!」と思い立ち、新幹線に乗って西宮から来て下さったとのことでした。お友達の未央子さんは、万依さんのお友達の妹さん。しばらく連絡を取っておられなかったそうですが、風‘sさんで「ほめ言葉のシャワー」を見つけて嬉しくなり、仕事をされている「はすのみ」というパン屋さんに置きたいと、万依さんに連絡されたそうです。未央子さんは、お店で「松の力」を知り、「ゆっくりずむ」に万依さんのことが書かれているのを見て、感謝祭に参加しようと思われたそうです。
「~いのちの手ざわり感じていますか~」は、万依さんとメッセゲさんについてお話した後で下さった感想から生まれた言葉なので、来て下さったら嬉しいな、と思っていましたけれど、遠いので無理におすすめしても、と遠慮していましたが、思いがけない経緯で参加して頂けました。世津子さんのお嬢さん―明日香さんからも参加したいけれど調整がつかなくて残念とメールが届きました。スウさんと万依さん、世津子さんと明日香さん、ほんとにステキな母娘です。お嬢さんお二人とも感性豊かで、言葉が宝石のようにきらきらしていて、お話を伺うのがとても楽しみです。このように二世代に渡りお付き合い頂ける方が多いことに感謝、感謝です。
会場では、ヴィジョンヨガを教えておいでの中町さんと、エコ・ブランチ商品を愛用して下さっているお客様が、談笑されているので伺うとヨガの生徒さんとのこと。他にもいろいろ、ご縁が渦巻いていました。そして演奏して下さった丸山さんとはるちゃんが、ぜひこの人に会って、と紹介して下さったのが、廃食油を精製したバイオディーゼルで世界一周した後、日本一周中の山田周生さん。
数日後にお目にかかることができました。車に廃食油を積んで、サハラ砂漠や、世界の奥地を走るなんて想像もつかない世界ですが、物腰が柔らかく、話される言葉の一つひとつが深く、いつまでもお話を伺いたくなりました。こうしてご縁が数珠つなぎになり、友達のともだちは、友達だ、ではありませんが、和が輪になって環になりそうでワクワクします。
43号
2010.09
私たちが、全国のいろいろな方たちとのご縁ができたのはパソコンの先駆けであるピップス、マイツールのお陰です。マイツールを使った経営分析勉強会がきっかけで、天野榮夫先生の呼びかけで始まったABCフォーラムも23年たちました。その天野先生がこの春お亡くなりになり、8月6日に、先生を偲ぶ会が行われました。
天野先生は、昭和18年学徒出陣、昭和19年元山海軍航空隊でゼロ戦の訓練を受けられました。その時の分隊長、金谷大尉のことがよくお話にでました。特攻隊で出撃享年23歳、海軍上官も絶賛した軍人でありつつ、美しく温かい心をもった絶品の人だったそうです。直接薫陶をうけたのは50数日だったそうですが、青年時代にこのような優れた人物に出会え、一生の無上の幸せだった、と「レクイエム」に書かれていました。
大手企業の重役を歴任後、昭和60年そふと研究所設立。63歳の時に、経営だけでなく“人生のいろは”も共に学ぼうと呼びかけられ、異業種交流会ABCフォーラムが始まりました。先生は、敗戦の原因を追及する志を立てておられ、情報と、分析の力を大切にしておられたのだと思います。10年後もみんなで笑っていられるようにと、これは、と思う情報等、沢山の資料をコピーして配布して下さいました。「偲ぶ会」には、遠方からも懐かしい方々が来られ、さながら同窓会。会場に流された思い出の写真には、懐かしい人たちの若い顔、顔・・。なんと沢山の人とつないで頂き、多くのことを教えて頂いたことかと、今更のように感謝でいっぱいになりました。戦争を生き残ったからには、という想いが、その行動の底流に常に流れておられたことを思いました。
思い起こせば、学校を卒業し、新卒で入社した船会社でも、仕えていた支店長から沢山のことを教えて頂きました。よく日経新聞の文化欄を指し示しながら、教えて頂いたことは数知れません。戦争のお話も時折伺いました。よく言われたことは、「自由主義は不自由だ」ということでした。みんなは好き勝手にすることを自由と思いがちだけれど、自由に伴う義務を忘れないこと。深く物事を考えないで軽佻浮薄に生きることを厳に慎むように、とか、結婚相手に良い人を、と望むなら、それにふさわしい人間に自分を成長させなければいけない、とか訪ねて来られるお客様を上下の別なく丁寧に対される等々、生きる上での哲学を手ほどきして頂いたことは人生の財産です。
今年は、戦争にまつわる様々な報道番組を観ました。シベリア抑留された方たちのご苦労、沖縄戦のこと、学徒出陣の話等々。うかうかと情勢に流されるままにしていると、世の中は、とんでもない方向に進んでしまうことの怖さを感じました。ブリッジ・フォー・ピースの神直子さんは、お若い方ですが、元日本兵と、フィリピンの方々の戦争体験の聞き取りを行い、両国でビデオメッセージ上映会を開催。語り継ぎと、10代から90代までの幅広い世代間の交流を図る等、過去、現在、未来と向き合い、国境を超えた多様な世代のつながりを持つ場づくりを広げておられます。
江戸の語り部の辻川さんが、日本人の系譜を断ち切られないよう、少しでも伝えたいと思われていることも、みんな連綿とつながりあったいのちの循環なのだなぁと思います。
ご縁の深い方々は、若い人たちにバトンを渡したい、自分たちが味わった轍を繰り返さないようにとの願いを深くお持ちでした。翻って、自分がご恩を頂いた人達と同じような年齢になり、どれだけそのバトンを、次の人に渡せるよう努力しているかと言えば、情けない限りです。
長い歴史の中、数え切れないたくさんの方々の願いの積み重ねで、今があることを忘れず、より良い未来を次の世代に渡したいとの思いを深めた夏でした。
42号
2010.07
ある日、出先から戻ると「『たかはしべん音楽事務所』のなみき様からお電話ありました」のメモがありました。たかはしべんさんは川越在住のフォークシンガー、“紅茶の時間”の水野スウさんのお友達です。「幸せ気分」の笹田雪絵ちゃんのお友達でもあります。雪絵ちゃんの入院先の病院でコンサートをされたこともあります。その関係で、通信をやり取りさせて頂くようになりましたけれど、まだお目にかかったことも、お話したこともありませんので、何かしら?と、早速ご連絡しました。
お話は、「7月に岐阜に行きます。前後に名古屋でコンサートやって頂けませんか?」とのことでした。「通信を読み、やっていることは違うけれど、流れているものは同じ気がして、いつか、やって頂けないかと思っていましたので、押しかけコンサートのお願いです」とのこと。スウさんのブログでも、べんさんのコンサートのあたたかい空気があふれており、一度聞いてみたいものと思っていましたので、とても嬉しく思いました。子ども向けのコンサートは笑いにあふれ、小さな子も夢中になると伺っていましたが、今回は、ちょっと時間的にきついので、こじんまりとした大人向けライブをすることにしました。どこが良いかしら、と考えていて、ふっと浮かんだのが「空色曲玉」さん。あの空間で、車座コンサートが良いなぁと思い、早速「空色曲玉」の谷陽子さんにお電話しました。
「どんな人なの?」に、こんな曲で、こんな経歴で、と話す中、水野スウさんのお友達で、と話したところ、なんと谷さんは以前「名古屋紅茶の時間」をやっておられたそうで、スウさんを御存じでした。今度のスウさんのワークショップも参加したいのだけれど、予定が入っていて残念!とのことでした。まったく世間は狭いです。
なみきさんとの、やりとりのメールに「スウさんとお目にかかりました。今度、名古屋だそうですね。お目にかからなくても、つながっていて嬉しいです」とありました。そうです。スウさんのご縁からつながったべんさんの初ライブ、スウさんつながりの会場で、今から楽しみです。
そのスウさんの「ほめ言葉のシャワーワークショップ」が6月26日にありました。出前紅茶の時間です。スウさんのお嬢さんで、ほめ言葉のシャワーを本にまとめられた万依さんもお越し下さって、本が出来るまでの素敵なお話もして頂きました。ゆったりとした空気の中、スウさんのお話とワークショップはまるで、温泉に浸かったようなほっこりした心地よい時間でした。終わってからの懇親会でのことです。スウさんから、「参加して下さった方のお寺で11月に講演会をすることに決まりました。美容院で“ほめ言葉のシャワー”を貰われたそうですよ」と伺い、もしかして?と思いました。
もう15年以上お世話になっている浪漫美容室で、四方山話に、「ほめ言葉のシャワー」のお話をしました。すると「あら、それお世話になっているお客様のお礼に差し上げたいわ」と注文されました。その後、「差し上げたお客様が、お寺でお話して頂けないかしら、と言っておいでなのだけど、どうでしょう?」と相談されました。直接伺ってみては、とお応えした、その方でした。しかもあれこれ話すうち、はがき道の坂田道信先生はじめピノパンの久米さん、やまもっちゃんのお友達の赤塚さんも旧知とのことで、ビックリしました。ここまで芋づるになるとは予想を超え、鳥肌が立つ、と驚いておられました。でもきっと、どなたとでもじっくり話せば、知っている人の一人や二人おられ、つながっていることでしょう。やっぱり袖触れ合うも多生の縁です。
41号
2010.05
4月にあった映画「降りてゆく生き方」1周年記念の集い。懐かしい顔ぶれのパネラーの皆さんや清水義晴さんにお目にかかりたくて東京へ行きました。開場待ちの人たちが、会場をぐるっと取り囲むほどの盛況ぶりでした。べてるの家のブースに向谷地悦子さんや息子さん、お嬢さんがおられました。名古屋のべてる祭りに来て下さっていた頃には小学生だったお嬢さんがもう大学生になられていて、とても懐かしく、嬉しい再会でした。地元では、なかなかお目にかかれない、むそうの戸枝さんにもお目にかかれ、仲間のみなさんと一緒に懇親会に向かいました。
懇親会場も沢山の人で盛況でした。旧知の誰かと似ておいでなのか、着物姿の女性に懐かしさを覚え気になっていたところへ義晴さん達が来られ、その方を御紹介下さいました。辻川牧子さんとおっしゃる“江戸しぐさ”の語り部で、江戸時代の先人の知恵を伝えておいでの方でした。お名前を伺いびっくりしました。以前平井孝志先生が、義晴さんが出されている雑誌「動」をご覧になって、「旧知の辻川牧子さんが出ていてびっくりしました。懐かしいなぁ」と、喜んでお電話下さったその方でした。思いがけない御縁で、しかもエコ・ブランチのお客様とのことで二重の喜びでした。
その時は沢山の人で、ゆっくりお話することができませんでしたが、後日お電話でお話して改めてご縁の深さに驚きました。平井先生との御縁は、数年前東京で開催された神田川の浄化についての会で、先生が宇宙の話を沢山されて、すっかりファンになり、又お目にかかりたいと思っておられたそうです。新潟で、清水義晴さんと一緒に「新潟江戸しぐさ研究会」をされておいでの柴田光栄さんに、平井先生のお話をされたところ、柴田さんから「ゆっくりずむ」を紹介され、エコ・ブランチで平井先生の対談集をお求め下さったという経緯でした。経営教育コンサルタントである柴田さんとは、義晴さんの勉強会等で御一緒させて頂き、ご縁をいただいてかれこれ20年になるでしょうか。仕事ができるだけでなく、想いも深く、義晴さんが倒れられた時も、お忙しい中を新宮まで電車を乗り継いでお見舞いに来られた時の親身な表情が忘れられません。そんな柴田さんからのご縁ということに一層嬉しく思われました。
辻川さんは、「江戸しぐさ」は江戸に限定されるものでなく、たくさんの苦難を乗り越えて、私たちに命をつないでくださったご先祖さまたち…おじいさん、おばあさん、そのまたおじいさん名もない多くの方々が遺して下さった生きる知恵という資産であり、宝物をこのまま、埋もれさせてしまっては惜しいとの思いで、江戸の知恵の語り部をされておられるそうです。早速ABCフォーラムという異業種交流会での6月の講師をお願いしました。その折、ABCフォーラムのHPをご覧になり、これまでの講演会や、講師の方々の中に、御自身が勉強会で教えて頂いた先生方がおられ恐縮しました、とのこと。聞けば仏教学者の紀野一義先生、鈴木秀子先生の会に通われていたそうです。
20年以上前、私も紀野先生の「正法眼蔵勉強会」の事務局をさせて頂いており、道元さんはじめいろいろな仏教の教えを頂きました。そして鈴木先生は、勉強会には参加していませんが御著書を拝読し、いつかお目にかかりたいと思っていたところ、バーバラ・ブレナンさんの日本講演が名古屋であった折そこで偶然再会した友人から、そこへ来られていた鈴木先生に引き合わせてもらうことができ、その後ABCフォーラムで御講演頂くことができました。大きな影響を受けたお二人の先生とご縁がおありということに、何故か懐かしさを覚えたのはこういう背景があるからかしらと思いました。それにしても何処に出かけても、何かしらつながりのある人と巡り合えることの何と嬉しいことでしょう。
40号
2010.03
水野スウさんから、1月半ばにメールが届きました。「『ほめ言葉のシャワー』がどのように読まれ、どのようにひとのきもちにふれ、読んだひとや、まわりのひと、家族のあいだに、ちいさな変化を生んでいるのかとりあげ、紹介したいと、NHKさんの取材がはじまり1月26日のクローズアップ現代で取り上げられる予定です」とのことでした。残念ながら観ることができませんでしたが、前から決まっていた講演のため名古屋に来られたスウさんと、放送の三日後お目にかかれました。
7年前の「べてらーず市場」に参加して下さって以来二度目です。前回は、イベント中に「初めまして、どうぞよろしく!」と言った感じで、ほとんど話もできず、ゆっくりお話するのは初めてでした。その折、放送の反響がすごくてあっという間に1000件のご注文が届いたと伺いました。以前、東海テレビで「松の洗剤」が取り上げられ折、ちらっと出ただけでしたけれど、お問い合わせ等がすごく、対応にあたふたしましたので、その比ではない数に、スウさんと、お嬢さんの万依さんお二人の産直本屋さんは、さぞ大変なことでは?と、伝票や発送のことを想像するだけで胃が痛くなる思いでした。
スウさんから届く封筒はリサイクルで、すてきなグラビアが貼られていたり、色紙の帯があったりと、とてもオシャレで丁寧です。だからこそ、喜びと、早く届けられないことに心を痛めておいでではないかと思われました。「ほめ言葉のシャワー」は以前から扱わせ頂いており、指しでがましいことですが、よろしければ発送代行しましょうか?と声を掛けさせて頂いたところ、万依さんも喜んで下さり、ほっとしました。結局一か月足らずの間に2000冊近くお届けすることができました。これまで協働することの大切さを思いつつ、何か特別なプロジェクトにしなければいけないような気持ちがありましたけれど、気がつけば、しっかり協働していました。注文された方のお手元に早くお届けでき、スウさん達のご負担を多少軽くするお手伝いができ、嬉しい仕事をさせて頂きました。万依さんは、一人で小さな本創りなどを仕事にされており、頼ることが少し苦手だったそうですが、今回私たちと一緒にやり取りする中で、仕事の相談もすることもでき良かった、と言って頂いたことが、とても嬉しかったです。弱さや、困ったことは、人をつなぐものと改めて思いました。
ほめ言葉のシャワーならぬ嵐の最中、スウさんから、「ほめ言葉のシャワー」と一緒に注文される事が多いので、古い本ですがよろしければ、と「出逢いのタペストリィ」という本が届きました。何気なく開いたページに、笹田雪絵ちゃんが、山元加津子さんと紅茶の時間に行かれた時のことが書かれていました。「『なんて暖かい空気だったんだろう、しばらく幸せ気分で心がいっぱいで、自然とウフッてほほえんでしまう。山元先生が広げた空気をみなが思いっきり吸って、誰かの誕生パーティみたいな気持でした。幸せをみなで分けあうような…』と雪絵ちゃんが手紙に書いてきてくれました。山もっちゃんに逢うといつも、好きという気持ちがどんなに大切で、やさしい力を生むものか、気づかされます。・・・その後「たんぽぽの仲間たち作品展」を金沢でしました。」と一文に、ハッとしました。山もっちゃんと出逢い、名古屋のべてる祭りで「たんぽぽの仲間たち展」をしたのも多分同じような頃でした・・・。だから、スウさんに最初から懐かしさを感じたのでしょうか。
埼玉の安斎咲子さんのお友達、富山の上田さんから「スウさんち遊びにいってまーす。“ほめ言葉のシャワー”を読んだ伊勢の方が、みっちゃんとこスウさんと近い?じゃ4月に遊びに行くね、ですって」と葉書が届きました。伊勢の人というのは草刈先生つながりの佐久間さん。そして、上田さんは、山もっちゃんの大切なお友達、脳幹出血で倒れた宮ぷーの病院に、丸山祐一郎さんのテネシーワルツのCDを届けに行かれた人です。雪絵ちゃんつながりはまだまだ広がりそうです。
39号
2010.01
お正月、アメリカから里帰り中のエンライト響子さんと久しぶりにお目にかかりました。地球環境を憂え、家も手放し、環境問題は自然とつながりの切れた心の問題である、とキャンピングカーで話して廻っておられた心理学者ジョン・エンライト博士の奥様です。博士と1995年に初めてお目にかかった時は、既にMSのため足がご不自由でしたが、名古屋界隈での講演会・セミナーをお手伝いさせて頂いた日がつい昨日のことのように思われます。
響子さんは、ジョンの三回忌に大好きだった日本に納骨するため来日された折、持病の心臓病が悪化し急遽手術されました。たまたま素晴らしい先生と出会い、以前は命を落とす人の多かった手術ですが無事成功。「技術の進歩は、自分は助からなくても後の人の役に立てばと身を持って手術台に登られた沢山の患者さんのお蔭です」との主治医の先生のお話しが、身に沁みて有難く感じられたそうです。「私は、もしすぐ手術して頂かなかったらいつ死んでもおかしくありませんでした。この心臓の病は、まさに生と死の狭間で儚さ、美しさ、強さ、愛おしさ、そして尊さ・・・それら全てを同時に併せ持った、命というものの凄さ・・深さ・・果てしのない神秘を私に体感させてくれました。新たな命を与えられたので、少しでもお役にたちたい」とのメールを頂きました。
これで、一件落着かと思っていましたが、昨年脳梗塞で倒れられました。体が動かなくなり、薄れゆく意識の中で、「ジョン助けて!」と叫んだところ、ジョンのお友達だったヒーラーがそのメッセージを受け取られ、救急車を手配して下さったお陰で助かり、左に軽く麻痺が残る程度まで回復されました。左手のリハビリに、タイピングを練習されたそうですが効果がなく、ピアノのレッスンに変わったところ、みるみる回復されたそうです。弾いている途中で硬直したりすることもあるそうですが、個人レッスンも受けられる程になられています。
ジョンは沢山創った自己啓発プログラムの著作権もとらず、Ph.D(博士号)を返還したいというほど欲の無い人で、響子さんもジョンの介護の時から、ほとんど仕事に就けず、お二人がアメリカで、これほど純に生きてこられたこと自体奇跡ではないかと思うほどです。思いがけない偶然の連続で、さまざまなサポートを受けられているお話を伺うにつけ、無垢な人には、宇宙がどんどん扉を開くのだなぁと、しみじみ思いました。
いろいろ話をしていて、ふと、雪絵ちゃんの「幸せ気分」発行のお手伝いをすることになったのは、ジョンがMSだったからかもしれないと思いました。少年のように純粋で、お酒を飲むと「酒飲むなぁ、酒のむなぁの~ご意見なれどぉコリャ」と上機嫌で歌う可愛げと、どこまでも気づきを求める真摯さ、ギリシャダンスの踊り手でもあったジョンにとり、不自由になってゆく身体はさぞ辛いことだったと思いますが、気配も見せず、ひたすら地球環境を案じている姿に、何かサポートできることはないものかと思ったものでした。
同じように、ひたむきな雪絵ちゃんの生きる証しのお手伝いができれば、と思ったのが本を創るきっかけでした。響子さんは、先回の来日時に、東京で開催された山元加津子さんの講演会に参加され、サンフランシスコで「1/4の奇跡」の上映会も企画され、そのつながりがとても嬉しいです。
今、山元加津子さんは、脳幹出血で倒れたお友達の宮ぷーさんを、それこそ全身全霊でサポートされています。回復を祈る「宮ぷープロジェクト」の参加者は1400人近くになり、皆さんが同じ時間に祈られ、奇跡的な回復を見せておられます。出来事も、人もつながりあっていますし、見えない世界もつながっていることが、形になって見えるようになってきているのではないかと思うことの多い昨今です。
宮ぷープロジェクト(こちらでメルマガ登録=プロジェクト参加できます)↓
http://www005.upp.so-net.ne.jp/kakko/miyapupuro/kokorokakehasi.html
38号
2009.11
前回の通信で、安齋作子さんに教えて頂いた「たった一枚のCDづくり」のことに触れさせて頂きました。その後なんと作曲された本多裕子さんからメールが届きました。ほんとにつながり合っているなぁと嬉しくなりましたので、御紹介させて頂きます。
本日、安斎作子さんから『Eco-Branch通信』をいただきました。
「たった一枚のCDを、この鶴田さんに送ったのよ」って。cocoon3もご注文書に入れて頂いていたんですね。ありがとうございます。
読んでみて、びっくりです。あまりにも、あまりにも、ご縁が繋がっていて・・・・。
ご縁を書かせていただくと・・・。
山元加津子さんとは、何度もコクーンのコンサートと講演会や映画上映とコラボレーションさせていただいてます。来年2月にも大田区で「1/4の奇跡」とコンサートとのコラボが決定しました。それから、岡部明美ちゃん。明美ちゃんはボーカルのゆりちゃんの高校時代からの友人で、コクーンをやる時に背中を押してくれた人なんです。1月に「もどっておいで私の元気」の朗読CDを一緒に出しました。手塚郁恵さんも知り合いです。
そして、杉浦貴之さん。彼のCD「Life is strong」は私が 編曲とプロデュースさせていただいてます。こんなに知り合いばかりで・・・なんか興奮して、このメールを書いています。
ご縁って不思議ですね。
それから、表紙の木村さんという方の記事を読んで、これまたビックリでした。
私の娘は「もも」っていう名前なんです。「桃の節句の生まれですか?」とよく聞かれますが、違うんです。ミヒャエル・エンデの「モモ」に感動して、この名前にしたんです。一番大切なことがちゃんとわかる人になって欲しくて。なんだか、勢いで書いてしまってすみません。・・・名古屋では、思風塾と青経塾という経営者の会に呼ばれることが多くて…。今回もそうでした。もしかしたら、その中にも共通の知り合いがいるかもしれませんね。
と、こんな風に綴られたメールを頂きました。嬉しかったです。大好きなひとたちを大好きな人がいて、そのことで、又つながりが広がって・・・、こうしてゆくと日本中、いえ、世界の人たちもつながってゆくのではと幸せな気持ちになります。
今回のBeな人、赤尾さんと面識はありませんでした。アンコール小児病院支援のお知らせを下さった中小路さんが、山元加津子さんのお友達でもあり、信頼している人なので、これほど一生懸命になるということは、大切なことに違いないと思って資料を拝見して感動しました。講演会案内をABCフォーラムという会で配布したところ「中小路さんと知り合いです」と、メンバーのお一人から声をかけられました。その数日後、中小路さんにお電話した折、「前嶋屋さんに行ってABCフォーラムでの鶴田さんの話しがでたところ…」とのことでした。11月3日の東京でのシンポジウムパネラー林英臣さんは、私の屋号「ほ・の・ま」の名付け親ですが、中小路さんは、その林さんの研究会に参加されているそうです。出会う人は、他のルートでも、何らかのつながりのある人ばかりではないかとマタマタ思える出来事でした。
37号
2009.09
ビリンバウの丸山祐一郎さんの応援団長のような埼玉の安齋作子さんからお電話頂き、久しぶりにお話しました。その時、今回の地球印良品でご紹介させて頂いた「たった一枚のCDづくり」のお話を伺いました。NHKの企画に各地から集まられたメンバーは、詩を書いたり、歌うことは初めてという人がほとんどという15名。岡部明美さんのお友達、コクーンの裕子さんが全曲を作曲されたそうです。それぞれの方の声や、力量に合わせた作曲が素晴らしく、作品は、その人らしい人生がほの見える応援歌のようで、上手下手を超え、聞くほどに味が出る、そんな奥深いアルバムでした。安齋さんは、出来上がったCDをお母様のお葬式で流す事が出来たことを、とても喜んでおられました。聞かれたお母様もさぞ嬉しかったことでしょう。
その参加者の中に、映画「1/4の奇跡~本当のことだから」で監督の入江富美子さんと一緒に歌っておいでのくりりんさんがおられ、水カンリンバを差し上げたそうです。その後、山元加津子さんがサントリーホールで共演された、シンセサイザーのキム・シンさんのコンサートに行かれた折り、偶然お友達から入江富美子さんを紹介され、お話するうち、くりりんさんが水カンリンバを入江さんの息子さんにプレゼントされた事が分かり、その上安齋さん自身、参加はされませんでしたが「1/4の奇跡」初上映会のパンフレットを持っておいでで話しが弾んだそうです。
それだけでも、スゴイと思ったのですが、いつもはがき通信を下さる伊勢の佐久間さんのお便りに、「安齋さんとお友達になりました」と添えられていて???、と思っていたところでしたので、これ幸いと伺ったところ、徳島のお友達のところでお目にかかられたそうです。こちらは、北海道の草刈先生つながりです。そもそも丸山さんからいつもお話を伺いながら、機会がなかった安齋さんとお目にかかれたのは草刈先生の合宿でした。佐久間さんも草刈先生とご縁があり、先生の通信に時折お便りが掲載されますので、お名前をご存知だったので親しくなられたそうです。又も、ご縁は続くよ、どこまでも・・・です。
8月の共同連全国大会で、パネラーをさせて頂いた分科会に参加されておいでだった北海道のソーシャルワーカーの方が、「松の力」の量り売り等に興味をお持ち下さいましたので資料お送りしたところ、後日メールを頂きました。「大会の報告者・議長をされたロメオさんからイタリアの社会的協同組合に学ぶ講演会を開催し、講演前に札幌の作業所等の見学で、エコフリー(ワーカーズコレクティブ)のリサイクルショップに行ったとき「松の力」があり、今試しに使っています。手にいやな臭いが残らないので助かります。汚れも良く落ちます」とありました。10月頃新しいお店を開かれるので取り扱えたらと、書かれており嬉しく思いました。えこふりぃさんは、清水義晴さんのご縁で、お取り扱い頂くようになりました。
同じく清水さんつながりの、べてるの家でも扱って頂いていますが、先日担当の川畑さんからFAXが届きました。「この間、べてるのお客様で『鶴田さんの話を聞いて、エコ・ブランチを知りました』という方がいました。その方は、別のお客さんに商品説明もしてくださいました。エコ・ブランチで人とつながることを実感した一日でした。」と商品の注文書に、嬉しいお便りを添えて下さいました。
ちょっとしたきっかけが、思いもかけない広がりとなります。坂村真民さんの“めぐりあい”という詩に、「人生は深い縁(えにし)の不思議な出会いだ」という言葉がありますが、年々その事の実感が深まっています。
36号
2009.07
3年ぶりでしょうか、今号のBeな人トージバの渡邉さんがお仲間と3人でお越し下さいました。一粒合同会社の神澤さん、東京のカフェスローで仕事をされ、地元大府に帰って畑のある食堂を始められる前田さんがご一緒でした。オーガニック七菜さんのご縁で「松の力」をお取り扱い下さるようになった渡邉さん。初めて来社して下さった時と同じ少年のような笑顔と再会できました。大豆レボリューションやアースデーマーケット等とても魅力的なプロジェクトで、都市と農村をつなぎ、農的暮らしを仲間と共に広めておられます。アースデーマーケットで、「松の力」の量り売りをして下さっていて、時折東京から「マーケットで購入して気に入ったので販売店を教えて下さい」というお電話を頂き、活動の広がりを感じていました。入ってこられるなり、挨拶もそこそこに、「こちらへ来る前に鶴田さんを知っている人と会ってきましたよ」の声と一緒に出された名刺には、「日進野菜塾 熊谷正道」。なんと、小学校の同級生です。
数年前、マーケティングの仕事をしていた東京から地元へ戻り、関わったのがNPOフォーラム21さんという御縁のあるところだったことから、連絡をもらい数十年ぶりに再会しました。その頃から農業に関心を寄せておられました。「団塊世代提案型地域づくりモデル事業」で「日進野菜塾」が採択され「都市にいながら『農のある暮らし』を楽しむ。まずは週末農体験から、老若男女、Let's 農!」を始め、地元の農家さんの休耕田で栽培方法を教えてもらいながら、ゆるゆると輪を広げておられます。考えればトージバさんとつながっても不思議はないのですが、東京から来られた渡邊さんから久しく会っていない友人の名前を耳にするとは思いがけないことでした。
大和信春先生が、清水さんと共に公益社会を広めようと「公益革命」の本を執筆されていました。「まず1章書けました」と伺ったのは5月のことでした。先回名古屋に来られた6月20日、「今日出版日です」とのことに、その早さに驚くと共に、気合が伝わってきました。清水さんの雑誌と、大和先生の本。ツールもでき、これからきっと広まってゆくことでしょう。その折、「紹介したい人がいます」と以前からお話下さっていた福岡の吉岡美千代さんが、東京からの帰路立ち寄られるとのことで、大和先生と一緒に会食の機会を頂きました。いろいろお話を伺ううち、笑顔共和国の福田純子さんとお親しいと分かり嬉しく思いました。1990年、大和先生の第一回塾考塾が新潟で開催され、そこに福田純子さんが参加されていました。とても素敵な笑顔に、流石は笑顔共和国の大統領と思ったものでした。セミナーの合間に「私は幸せ」と言いながら、笑顔の練習をしたこと等が懐かしく思い出されました。
ちょっとした縁が、思いがけないつながりになってゆくものです。10年以上前、カルチャーセンターでヨガをやっていました。当時教えて頂いた先生は大阪に帰られましたけれど、その後も時折ご注文頂く等、ゆるやかなご縁が続いていました。その先生から資料が届きました。子どもが自ら学ぶ力を育む学校を、親と市民で共に創ろうというNPO活動を長くされており、この春自前の校舎が完成して「箕面こどもの森学校」をつくられたというものでした。工業大学で建築を教えておられるご主人が、学生さんたちとの関わりの中から教育に危機を感じ、始められた活動が形になったそうです。ホリスティックな暮らしも伝えたいと「松の力」の量り売りを始めて下さることになりました。
本当に、縁は異なものです。
35号
2009.04
先回の通信で、高槻市で教護院の先生をしておられた辻光文先生のことを少し書きました。退職後ご自宅をえにし庵と名付けて解放してこられた辻先生は、生きとし生けるものへの深いまなざしと、内なる真実、いのちとは?、生きるとは?との問いを胸にひたすらに生きてこられ、教護院で愛薄い子供たちと共に暮らし、障害のある方達とも深く関わってこられました。森信三先生とのご縁も深く、さをり織の城みさを先生を森信三先生にお引き会わせされた方でもあります。
先回の通信をお送りした直後、Beな人10号にご登場下さった石川県の水野スウさんから、「以前辻先生のお宅に泊まらせて頂きました」とお便り頂きました。スウさんもご自宅を開放して、週1回“紅茶の時間”というオープンハウスをされておられ、「気持ちは、ことばをさがしている」という本や、「ほめ言葉のシャワー」等とても素敵な本を出されています。ためこんだ気持ちを、誰かに聴いてもらったり、共感されたり、また逆に、以前つらい経験をした人ならなお深く、似たような想いの人の話を聴けたりもする、そんなふうにいろんな人の気持ちをうけとめる「場」に、時間をかけて共に育ててこられました。
スウさんとの御縁は、笹田雪絵ちゃんの本を通じて始まりました。雪絵ちゃんのお話に登場されるスウさんが素敵だなぁと思い、いつかお目にかかれたらと思っていましたので、ご縁が嬉しかったです。その上、大好きな辻光文先生ともつながっておいでとのことで、本当に嬉しいことでした。
そんなある日、埼玉県越谷にお住まいのめぐり教育研究舎の安齋作子さんから、何かのお役に立てば、と森信三先生の御本と、お便りが届きました。安齋さんは、ビリンバウの丸山祐一郎さんの応援団長のような方で、丸山さんが水の大切さを伝えたいと考案された空き缶で作る、水カンリンバという手作り楽器を広めておられ、丸山さんからよくお名前を耳にしていた方です。以前、緑健文明の草刈善三先生の合宿で、思いがけずお目にかかることができました。トイレ掃除の「日本を美しくする会」はじめ、旧知の人との御縁がさまざまにありました。
ユニバーサルデザインの活動もされておいでで、今回のお便りに「コクーンの裕子ちゃんに曲をつけてもらい、1/4の奇跡の歌を唱っている大阪の栗ちゃんも一緒に曲をつくりました」とありました。コクーンというのは主婦二人の音楽ユニットで、活動を始められる時に最初に肩を押した人が、Beな人22号に登場して下さった岡部明美さんで、よく講演会等でご一緒されています。栗ちゃんというのは、「1/4の奇跡~本当のことだから」の挿入歌を、今回のBeな人―入江富美子さんと一緒に歌っておられる方です。安齋さんが、コクーンさんともクリリンさんともつながっておられるとは…。考えると、当然と思える自然なことですが、やっぱり世の中狭い!です。
スウさんも、安齋さんも、入江さんも、山元加津子さん・雪絵ちゃんにつながる御縁です。先日もあるセミナーで、たまたま同じグループになった方たちが、1/4の奇跡の上映会を手伝われていたり、山元加津子さんの講演会をよく主催される旧知の人のところで仕事をしておいでの方でした。雪絵ちゃんの詩をHPで紹介したい、と神奈川での上映会の方からメール頂きましたが、呼びかけ人は旧知の方でした。笹田雪絵さんは、2003年天に帰られましたけれど、本や、上映会を通じ、今もさまざまなつながりを創ってもらっています。人の願いは生き通しなのだなぁと感じます。
34号
2009.02
Eco-Branchを始めたのは、2000年3月でしたから今年で10年目に入ります。廻りの人にほんとにゆっくりカメだからと気遣われながら、ここまで来られたのも多くの方に支えられ、素晴らしいお客様に恵まれたお陰です。そもそも始める事ができたのも御縁のおかげなので、いつがスタートかと、さかのぼって思いを巡らせて驚きました。私たちは大和信春先生に天恵依存と言われる程、ご縁に恵まれていますが、本当に限りないつながりが錯綜しての今なのだなぁと、天に感謝するばかりです。
エコ・ブランチを立ち上げる事ができたのは、松の洗剤開発者の吉田又康社長との出会いからでした。その出会いは、ABCフォーラムという20年続いている異業種交流会の講演会で出会った無農薬野菜宅配のどれみ村天波さんから、大阪の異業種交流会テルモ会をやっておられた若松専務様を紹介されたことがきっかけでした。縁は面白いもので、丁度同じ頃にABCフォーラムの友人から、「開発者の話がすごく面白くて、これ良いよ」と渡された松の洗剤。吉田社長とお目にかかる前に、洗剤と出会っていました。そして、平井孝志先生と初めてお目にかかったのもABCフォーラムの講演会でしたけれど、その2年以上前でしょうか知人から平井先生の講演録のコピーをもらいました。感動してお目にかかりたいものと思いましたが、どこにお住まいかも分からず、お便りも差し上げられませんでした。ですから、先生のお話が伺え小躍りする気分でした。そのお蔭で先生の製品を扱わせて頂けるようになりました。
いろいろなきっかけとなったABCフォーラムはと言えば、マイツールという簡易言語のパソコンを使った天野榮夫先生の経営分析勉強会がきっかけでした。みんなで経営だけでなく、“人生のいろは”も共に学びませんか、という先生のお声がけで生まれた異業種勉強会です。オフコン全盛で、コンピューターは専門家のものだった頃、簡易言語のパーソナルコンピューター「ピップス」が登場し、それに引き続いたリコーのマイツールでもユーザーの自発的な勉強会や、全国大会が開かれました。理数オンチなのでコンピューターなんて一生縁のないものと思っていましたが、西順一郎先生の勉強会のお蔭で、思いがけない世界が広がってゆきました。
そもそもは、30年近く前、結婚して間のない頃、社長の大学時代からの友人が教えてくれた西順一郎先生の「人事屋が書いた経理の本」という一冊の本が、今もお世話になっている多くの方とのご縁の始まりです。会社って何か、会計とは、経営とは?、頭が?マークでイッパイだった頃この本を読み、会社ゲーム“MG”を知り二人で学び始めました。皆さん、とても熱心で、前向きで、さまざまなことを学ばせて頂きました。西先生のお話の中に、新潟の博進堂社長、清水義晴さんがよく登場されていましたが、これほどお世話になる関係になってゆくとは夢にも思いませんでした
いろいろな出来事をたどってゆくと、小さな源流が小川となり、合流して大きな川となってゆくように、ほんのちょっとした事が、思いもかけないところへ連れて行ってくれるものと改めて思います。高槻市で教護院の先生をしておられた辻光文先生から初めて頂いたお便りを今も大切に飾ってあります。そこには、「縁 即ち是 真の吾なり」と書かれています。巡り会う縁の不思議は、みんなつながりあっている宇宙の摂理を、ふと垣間見させてもらっていることのように思えます。
33号
2008.12
11月のデジャーディンゆかりさんのワークショップは、五感・六感もフル活用した内容もさることながら、参加された方が職種・年代さまざまで、旧知の人と、初めての方が入り混じった、とても楽しく・深い二日間でした。若い参加者のお一人は、お客様の息子さん。以前ゆかりさんがBeな人に登場して下さった折、丁度オーストラリア行きを計画されていたところで「この人のところへ行きたい!」と訪ねられた方で、再会をとても楽しみに来られました。もうお一人は、べてる祭りや、集団創造化プログラム等、折にふれ倉敷から名古屋まで来て下さっていた長谷さんのお嬢さん。岡崎のジャズフェスティバルに行くので会いたい、とご連絡頂きましたが、丁度ゆかりさんのWSと重なることを、お話したところ、「一日しか参加できませんが、ジャズは前夜に楽しんで、そちらに行きます。」と参加して下さいました。若いお二人の行動力・感性に感動すると共に、二世代に渡るご縁は、本当に有難く、嬉しいことでした。
思いがけない縁はさまざまにあるものです。
先月、久しぶりに微生物の平井孝志先生とゆっくりお話していた折のことです。いつものように多岐に渡る話題の中で、「ご縁あって沢山の方に、いろいろ教えて頂きました。」と話して下さった中に、“藤村登さん”というお名前がでました。「ん??」聞き覚えのある名前です。「もしかしたら呉の方ですか?」伺ったところ、正に思い浮かんだ私たちもお世話になった旧知の方でした。
10数年前、環境事業にかかわる事になるとは、夢にも思っていなかった頃のことです。ハガキ道の坂田先生のご紹介で、植物とコミュニケーションされる三上先生が考案され、藤村社長が、製作・販売されていた“コスモス”という磁場を整えるという円盤を販売させて頂いたことがあります。製品のモーター音が静かになったり、ガソリンの燃費が伸びる等の効果もさることながら、藤村様がとても穏やかな想いの深い方で、お目にかかりお話を伺うのが楽しみでした。天に帰られ、御縁も途絶えていましたが、思いがけないところで再会したような気持でした。エコ・ブランチを立ち上げる前から、環境にかかわることになるような小さな芽が出ていたこと、平井先生とのご縁の糸が既に紡がれていたことを思うと、感慨深いものがあり、天の隠された意図のようなものを感じました。
そして、もう一つ。9月にメッセナゴヤに出展した折、ブースに立ち寄って熱心に話を聞いて下さった上「使い心地について感想をご連絡します」と言って帰られた若い女性からお電話頂きました。「遅くなりましたが・・・、」とご丁重な感想の後、いろいろお話する中で、やっておられる自己啓発のアバター・コースについての話になりました。たまたま集団創造化プログラムに参加して下さった方がやっておられましたので名前は知っていました。そうお伝えしたところ、「その方のお名前は?」と仰いますので、お伝えしましたが御存知ありませんでした。
それから、数日後再度お電話頂きました。興奮された口調で、「今研修中ですが、お友達の佐久間さんとご一緒です!」との事でビックリしました。たまたまブラッシュアップで再受講されていたそうです。
その後、いつもお送り頂く佐久間さんのハガキ通信に、「ご縁は続きますね…」の一言が添えられていました。本当に、縁と言うのは不思議なものです。
32号
2008.09
いつかしたいと願っていた、販売店さんの情報交換会を8月6日に開催しました。平日のお昼でもあり参加して頂くのは難しいのでは、と危惧しつつ蓋をあけたら20名もの方がお集まり下さいました。
ご遠方にも関わらず、栃木県の与一温泉でアトピーの方の温泉療法をされておいでのわかばの里さん、高槻市のホメオパシービレッジさんもお越し下さって感激しました。
パーマカルチャーセンター・ジャパンのワークショップの為オーストラリアから来日中だったデジャーディンゆかりさんもゲスト参加して下さいました。今回ファシリテーターを引き受けて下さった安藤自然農園作業小屋の安藤さち子さんは、4年ほど前から最も会いたい人が、ゆかりさんとのことで大喜びされました。起業支援ネットから参加して下さった西井さんは、スロービジネススクールにも関わっておられ、やはりゆかりさんに会いたかったおひとり。MOVEの岩塚さんも、以前から御縁があって再会をとても喜んでおられました。ゆかりさんにお話し頂ける時間は少なかったにも関わらず、参加された皆さん、命を大切にする暮らしを目指されておいでの方ばかりなので、全ての生命体と手をつないで暮らすとはどうあることかが実感できるゆかりさんのお話、ひととなりに魅了されておいででした。
そもそも情報交換会を思い立ったのは、商品でお困りのことや、お客様の声等の情報を共有したいことと、想いを込めて、良い仕事されておいでの方ばかりなので、互いに知識・商材を交換しあわれたら、それぞれのお客様に喜ばれるのではないかということ、つながりを深めあいたいということからでした。
自己紹介の時から、多彩な顔ぶれにワクワク。会場の大和白鳥創造センターの平井社長さんが、ちょっとお顔を出して下さいましたが、「なんの集まり?良いエネルギーで、きれいな人ばかりだねぇ」と言われた程でした。「松の力」の使い方等も私たちが感動するほど熱心なやり取りで、こんなにステキな方たちに、愛されて、お取り扱い頂く有難さに胸が熱くなりました。
初めて出会われた方も、旧知の方も入り乱れ、2時の終了予定でしたが、ほとんどの方が残られて、話が尽きない様子。あちらこちらで花が咲いて、終了は4時半を廻っていました。
お掃除会社のアクションパワーさんが、交流会の後、来社された折話して下さったことです。東京の日本ハウスクリーニング協会さんへ問い合わせされたお客さま宅に伺われたところ、なんと「松の力」が置いてあり話が盛り上がったそうです。MOVEさんが企画された幼稚園のお母さん向け洗剤勉強会に参加された方だったそうです。地球は狭い!と楽しそうに話して下さいました。
デジャーディンゆかりさんが、世界のエコロジスト憧れの地と言われるマレーニは、つながりがクモの巣のように入り組んでいると話されました。小さな営みの集まりが、安心して暮らせるコミュニティを生むのでしょう。みんなの幸せがあって、自分の幸せがある世界。みんなが深く楽しく有機生命体としてつながることはなんとステキなことでしょう。
想いのあるマイクロビジネスを営む人たちがつながりあい、協働してゆく中で、地域を越えた安心な共同体も生まれるのではないかと、なんとも言えない心地良い空気の中で、改めて思いました。
31号
2008.06
東海テレビの追跡!エコファイルの取材で、「お客様の声を伺えませんか?」とのプロデューサーさんの依頼で、どなたにお願いしようかと考えた時ふと頭をよぎったのは、もう5年以上充填を利用して下さっている名古屋在住の猪子さんでした。猪子さんとの御縁は18年ほど前、ビリンバウの丸山祐一郎さんのホームコンサートを企画して下さったことから始まりました。子どもたちと手作りおもちゃを楽しむ会等をされている明るいお母さんでした。猪子さんなら、無理がお願いできるかも・・・、お電話をして久しぶりにお話しました。取材の件は、快く引き受けて下さり、ほっとして、あれこれよもやま話をしていた折のこと、実はね、と言って話された内容にビックリしました。
「前に通信に書かれていた安藤自然農園さんのお嬢さんが、うちにホームステイしているのよ」とのこと!今号のBeな人安藤さち子さんが結婚パーティの引き出物にエコ・ブランチの製品を使って下さったことを、以前このコーナーに書いたことがあります。さち子さんのご主人の妹さんが、猪子さんのお宅にホームステイされているのだそうです。猪子さんのお嬢さんと高校の同級生で、お嬢さんは、仕事で高山に住んでおられ、資格を取るために名古屋で勉強されている安藤さんが、猪子さんちへ滞在されているそうです。「今、娘は家にいないのだけれどネ。」と楽しそうに話されるのを聞きながら、世の中は、なんて狭いのかと改めて思いました。
5月11日には、長野県白馬で丸山祐一郎さんのライブがありました。
昨年、大町在住の画家斉藤清さんのご紹介でお目にかかった植木茂記念館の小林未魚子さんは、13年ぐらい前、ネイチャースキーで丸山さんが音の講師をされた時の参加者で、用事があって帰ろうとされたところ、丸山さんが小林さんの為に演奏されたそうです。自分一人のためにと感動され、いつかもう一度聞きたい!とずーっと思っておられたとのことです。「ゆっくりずむ」にあった丸山さんのことを読まれて連絡を下さり、今回の植木茂記念館でのライブにつながりました。丸山さんにとっても、画家だったお父様がこよなく愛した五龍岳を望む白馬での記念すべきライブでした。
あいにく私は参加できませんでしたが、翌日丸山さんから「すごいことが分かったよ」と興奮気味に電話を頂きました。参加されたお客様が「お父さんの名前は?」と聞かれたことから、なんと斉藤清さんが生前のお父様と一緒にお酒を飲んだり、家に遊びに行かれていたことが分かったそうです。以前に丸山さんと、斉藤さんは出会われていますが、お父様のことは結びつかず、今回初めて事故で一時記憶喪失だった頃のお父様のことや、作品についてのあれこれが分かり、ジグソーパズルの最後のピースがはまったそうです。
今年のゴールデンウィークにも斉藤清さんとお目にかかりました。その折、ぜひ会って欲しい人がいる、と大町で「木と森の相談室」等をされておいでの山内さんという女性をご紹介頂きました。山内さんのギャラリーに入るなり、挨拶もそこそこに「西井さんからよろしく!とのことです。」と言われ「エッ?」。なんと名古屋の起業支援ネットの西井さんから丁度お電話が入ったところでした。「起業支援ネット代表の関戸さん、PSサポートの村田さんにもお世話になっています」とのことに、以前村田さんから「斉藤清さんとお目にかかりましたよ」と言われ、「???」と不思議でしたが納得!糸をたぐるとまだまだ出てきそうです。なんとも縁がぐるぐるしています。
30号
2008.04
山元加津子さんのドキュメンタリー映画「「1/4の奇跡~本当のことだから~」が、どんどん広がって、なんと4月13日にロスアンゼルス!の「ジャパン・フィルム・フェスティバル」で上映することが決まったそうです。スゴイ!!の一言です。
元はと言えば、「宇宙に感謝の量を増やしたい!」という監督の入江富美子さんの願いから始まった、山元加津子さんと、雪絵ちゃんの願いの映画化。制作の“せ”の字も知らず、想いを形にされた映画です。「どんな自分であったとしても、ありのままの自分を受け止めることなのだと思いました。大晦日の夜、感謝のかけらもなかった私一人の小さな心に湧き上がった「ありがとう~」と言う暖かい感覚、、。もうそれだけで宇宙に影響を与えている、、、。大海に一滴の水を落とすように、必ず増えている。そう感じられたことが、この映画の原動力になったのです。―ブログより」
映画づくりも、上映会も、多くの人を巻き込みながら、うねりが起きて奇跡と思えることの連続に、青空禅フォーラムでの伊東ドクターの話が、実感を持って感じられます。願いや想い・祈りの力ってほんとにすごいものです。
映画制作をされたE・Eプロジェクトさんでは、山元加津子さんの講演CD「たんぽぽ~雪絵ちゃんの願い」も作っておられます。担当の小野敬広さんに注文のお電話を差し上げた折のこと「林晶彦さんとお知り合いだそうですね?」と言われビックリ。そう言えば、4月に八尾市である上映会に林晶彦さんも出演されるとのことでしたから、その関係でご存知かと伺いましたら、そうではなく、もっと以前からお知り合いで、チェルノブイリ事故20年の集いも一緒に企画されたそうで、HP制作でも関っておいでとのことです。まだお目にかかったことのない小野さんと既につながっていたなんて、と驚きでした。
その林晶彦さんと山元加津子さんの昨年のジョイントの際、ピアノの搬入でお世話になった北岡真朱美さんから、「ガイアシンフォニー第6番―虚空の音」に出演された奈良裕之さんのライブのご案内を昨年秋頂きました。奈良さんとは10年ほど前にご縁がありましたが、以来お目にかかっていませんでしたので久しぶりのライブを楽しみに伺いました。ゆったりとした時間が流れ、心地良い空間でした。
その場に、その数日前に明日香村で開催された林さんのコンサートに参加されたという方がおられました。ふとしたことから、その方と林晶彦さんのお話をしていましたら、奈良さんも話しに加わられ、林さんと旧知とのことでした。本当に、最近はどこへいっても、どなたとお目にかかっても、何らかのつながりが見つかることばかりです。世間は狭くなっている?!
今年1月参加した奈良裕之さんのサイレント・セッションは不思議な時間でした。音のお風呂に浸かりながら瞑想するうちに心が静まり、時間の感覚がなくなって、あっという間の3時間でした。青空禅の伊東ドクターも、現代人は情報が多すぎて、加速化症候群にかかっているので、自分なりのリラックスする時間を持つことがとても大切と言われますが、スピリッツキャッチャーの風のようなうなりや、チベタンベル等民族楽器の倍音は、とても心を寛がせてくれました。もう一度味わいたいと思っていたところ、縁あって4月20日の満月の日にサイレント・セッションとライブをおなじみの大和白鳥創造センターで開催することになりました。全ての存在は響き合っている…熱田の森の神様も、さぞ喜んで下さることでしょう。
29号
2008.02
前の通信に、炭焼銀じぃこと杉浦銀治先生とお目にかかったことを少し書きました。発送して数日後、広島の甲平塾住吉海平さんから「杉浦先生のこと、懐かしかったぁ」とお電話がありました。「えっ?!お知り合いですか?」とビックリ。以前木材関係の仕事をされていた頃、先生と外国への旅をご一緒されたそうです。その杉浦先生が、12月に奥矢作森林フェスティバルに参加され、炭焼窯にも以前から興味もあり、ちょっと遠いのですが参加しようと思っていました。
詳細を、今号のBeな人杉野さんにメールで問い合わせをしていた矢先、根本鎮朗さんからも案内が届きました。根本さんは、住吉さん同様「和の実学」や情報統合技術IST等の研究者大和信春先生の勉強会仲間で、いろいろなコーディネートをされており、杉野さんと旧知で、私が興味を持ちそうと思われ、ご連絡下さったものでした。シンセサイザー奏者の矢吹紫帆さん、矢中鷹光さん夫妻の「勝手にマネージャー」として、コンサート活動をずっとサポートされてもこられました。
名古屋の会に銀じぃと一緒に来られていた、なゆた堂の遠藤さんという女性がHPを見て、以前Beな人に登場された矢吹紫帆さんの文章を読まれメール下さいました。「熊野・天女座の紫帆さんとご主人のとんちゃんは私もお友達です。びっくり!こんなところでもつながった!・・・熊野まで3年前に遊びに行きました。」いろいろ交錯するものです。
12月のフェスティバルでは、初めて杉野さんとお目にかかり、窯の中に入れて頂きました。流木を丸ごと炭にできる流木炭化窯のお披露目とシンポジウムがありました。多彩な顔ぶれのパネラーの方々でした。流木炭化窯から出る煙で、間伐材を燻煙処理すると杉等も建築材料として使いやすくなるという話や、炭と微生物で、松林が蘇る話等々興味深いものでした。
そのパネラーの先生方と一緒におられた男性から「鶴田さん、お久しぶりです」と声をかけられ、一瞬ポカンとしてしまいました。続けて「主税町の加藤です」と言われ、ビックリしました。以前よくイベントをさせて頂いた加藤邸のご主人でした。なんと、杉浦先生と古くからのお付き合いで、愛知炭やき会の会長さんとのこと。世の中ほんとに狭いです。まさか県境の山の中で、こんな出会いがあるとは驚きでした。
先日名古屋で、その加藤さんとお目にかかり、炭のこと等をいろいろ教えて頂きました。以前から微生物の平井先生に、炭と微生物の相性が良いことや、一緒に使うと効果的であると伺っていましたので、楽しみでした。物静かな方ですが、「世界炭やきサミット」を開催したいと炭への熱い想いを語られました。「炭」は化石燃料を使わないエコロジカルな物であること。石油・石炭といった地球が何億年もかけて作り出した壮大な地下資源埋蔵活動を、現代では「炭」に焼いて、地球に埋めもどす活動に置き換えられること。炭は二酸化炭素を固定化し、土壌改良にもなるので、全国のダム湖の近くに流木炭化窯を設置し、流木も、間伐材も、建築廃材でも炭化し、植林する時、炭を一緒に埋めると元気に育ち、まさに一石二鳥どころか、三鳥、四鳥!お話に、ワクワクしました。
炭焼窯は先人からの知恵の固まりですし、炭の可能性について伺うほど、微生物もそうですが、やっぱりローテクは最先端!という気がしました。
28号
2007.11
「丸山祐一郎さんと連絡が取りたくて探していました」電話の向こうの声が弾んでいました。夏に大町の画家斉藤清さんのお誘いで伺った『植木茂アトリエ記念館』を主宰されておいでの小林未魚子さんでした。 記念館は、未魚子さんのお父様である彫刻家植木茂さんのアトリエや道具類、居間や書斎が再現され、数々の収集物、李朝家具、古伊万里、古民具多数、自作の家具類がさりげなく置かれた心地よい空間でした。窓の外に広がる白馬の山容を見ながら、まさか旧知とは思いもよらず、ここで丸山祐一郎さんのライブをしたら、ステキだなぁと夢想していました。名古屋に戻ってからお送りした通信をご覧になってのお電話でした。10年ほど前、ネイチャースキーでご一緒されたそうです。
その後、丸山さんが記念館を訪ねられ、めでたく再会されました。娘さんもブラジルにいらしたこともあり、意気投合、来春演奏会をすることになったそうです。 丸山さんは白馬の高校でスキー部にいたことがあり、お父様も五龍に眠っておられる思い入れのある土地なので、とても喜んでおられました。
9月23日の山元加津子さんと林晶彦さんの集いは、いろいろな方がお知らせ下さったお陰で、このくらいの人数だと良いなぁと思っていた、まさにその人数の参加者でした。「幸せ気分」と「本当のことだから」を図書館に寄贈し続けられている神戸の磯貝様も起こし下さり、加津子さんにお引き合わせすることができました。清水義晴さんの集団創造化プログラムセミナーに参加して下さった方々数名も、同窓会みたいと喜ばれ、あちらこちらから、「あ~久しぶり」、とか「やっとお目にかかれましたネ」と声が上がり、温かい空気に充たされました。ピアニストの林さんは、人生最大の危機状態とのことで、体調がすぐれず、少々気がかりでしたが、お互いに似た空気を感じられたせいか、お二人とも対談は苦手、と話されていたにも関わらず、司会抜きで二人で進められ、相変わらず涙がこぼれるようなピアノの音色でした。
27号のBeな人、中村かをるさんはシュタイナーのオイリュトミーもされていて、賢治の学校とご縁のある林晶彦さんと、コラボレーションの話も進んでいるとのことで楽しみです。
その折、空色曲玉さんで、加津子さんの文章にも登場されているイ・ヂョンミさんのライブがあることを知りました。以前丸山さんのご紹介でお目にかかった月ヶ瀬の猪飼さんからもライブのお知らせを頂きながら、都合がつかなかったので、いそいそと出かけました。空色曲玉さんに着いてびっくり、その猪飼さんご夫妻も来ておられました。熱烈なファンの方が多いようで、金沢や、大阪等遠方からも沢山来ておられ、歌を一緒に口ずさまれる様子に驚きましたが、心に染み入るような歌声と、なんとも言えない温かさに納得でした。聴きながら、やまもっちゃんとジョイントしたら、とか丸山さんとのジョイントも楽しそう…、などと又も妄想が広がっていました。
つい先日のこと、丸山さんが名古屋へ来られ食事を一緒にした折、ヂョンミさんのお話をしたところ、市川に住んでいらした頃に、丸山さんのライブに来て下さったとのことで、よくご存知でした。
あ~、いったいどこまでつながっていくのでしょう。
27号
2007.08
「柏崎の空イッパイにシャボン玉を飛ばし、演奏を届けたよ」、「今日はぶなの森で演奏会。ブナの原生林は、自然のクーラー、中に入るとひんやりした風が流れ、とても気持ちが良い。その中で音楽、こんな贅沢があるだろうか?お金がなくても贅沢はできる。どうすれば?答えは簡単!自分の心に耳を澄まし、自分の心が素直に喜ぶことを見つければよい。常識の眼鏡をはずし、素直にその瞬間を楽しめば良い。ただそれだけ…ほらそうすれば、聞こえる?うぐいすがギターと一緒に歌い、森がギターに合わせスィングしているのが感じられる?すべてを楽しんでいる人がNo.1」、続いては富山から ・・・、旅の音楽家ビリンバウ奏者丸山祐一郎さんから行く先々でのエピソードが綴られた、風の音三郎メール旅日記が届きます。
ソロ活動を始められて間もない頃、「今度丸山さんという人が名古屋へ行かれます、よろしく」新潟の清水義晴さんからの1本の電話が、丸山さんとのご縁の始まりです。清水さんは、丸山さんが、浦河のべてるの家で演奏されていたことから紹介されたそうです。
ライブ等企画したことも無く、いろいろな方にお声をかけたところ、さまざまな集いが企画され今もお世話になっている多くの方とご縁ができました。何人かの方がホームコンサートを企画され、今号のBeな中村さんもそのお一人でした。その時は、お庭にログハウスのあるステキな場にふさわしい、素敵な方だなぁと思いつつ、二言三言、言葉を交わしただけといった感じでした。その後お話しする機会もありませんでしたが、友人から中村さんのスペースに伺い、お目にかかったという話を耳にしたり、時折作品展のご案内が届いたりと、細々と糸は途切れず続いていました。たまたま経理をお願いしている恒川さんとの四方山話に、中村さんのお名前が出て、おもいがけないつながりにびっくり!そのことがきっかけで、ご縁が深まり、通信にご登場頂くことになりました。その中村さんのライフワークであるシュタイナーのバイオグラフィーワークセミナーを一緒に主催されている加藤くに子さんとも、野並こどもの村というフリースクールをされておいでの頃にご縁があり、思いがけないことでした。
山元加津子さんとのご縁も、丸山さんからです。ある日、「すごい本だよ」のメッセージと共に、原田大助君の「さびしいときは心のかぜです」という本が届きました。一読して圧倒され、共著者だった山元さんにお便りしたことが始まりでした。そのことが、きっかけで何度も講演をお願いしたり、笹田雪絵さんの「幸せ気分」の出版のお手伝いができました。続いて出版した「お日様気分」では、一緒に本作りに関わりたいという雪絵ちゃんの希望で、雪絵ちゃんがお友達に入力作業を依頼され、丸山さんのパートナーの書家こやまはるこさんが題字を書かれ、みんなで本を創ることができました。エコ・ブランチ商品の「松の力」や「大豆の力」のラベルの字も、はるこさんが書いて下さいました。ラベルはじめ素敵なイラストを描いて下さっているリツコさんとも、四日市での丸山さんのコンサートのパンフレットを作成されたことからのご縁です。
20号に登場して下さった胡弓奏者の石田音人さんとの出会いも、丸山さんのライブに来て下さったことからですし、草刈先生の集いでお目にかかっためぐり教育研究会の安齋作子さんも、丸山さんのお話に度々登場される方と分かり、話が弾みました。丸山さんにつながるご縁のほんの一端です。
いろいろなかけがえのないつながりも、初めはちょっとしたきっかけから始まるもので、点だと思っていた中村さんのご縁も、友人や恒川さんともつながっていました。池に投げられた小石の波紋が広がるように、縁というものは、思いもかけない広がりを見せ、点がいつしか線になり、渦になっていくことを実感する今日この頃です。
26号
2007.06
沖縄の中尾さち子様から、結婚パーティの引き出物にエコ・ブランチ商品を、という嬉しいご注文を頂きました。ご夫婦や、お子様もご一緒のご家族は、それぞれに違う品を差し上げたいので、数パターン考えて頂けますかとのご希望でした。早速少しでも喜んで頂ける組み合わせを考えようと、社内で引き出物ワークショップをしました。その矢先、ご主人の勤務先である浜松への帰り、名古屋へ行きますからと、会社まで来て下さいました。引き出物ワークショップのファシリテーショングラフィックを見ながら、商品を並べ、あれこれ話し合いができ、これからみんなお顔が浮かびますから、有難いことでした。
数日後、こんな嬉しいお葉書をいただきました。
みなさま、こんにちは。先日お邪魔した中尾です。引き出物の相談をあんなに丁寧にして下さって、とても嬉しかったです。それから、ちょっとした会社見学になった感じがしていて、みなさんの働きやすい、気持よい職場、環境づくりというのが、大変勉強になりました。そのことに感激して、この間のラジオでちょっとだけ紹介させてもらいました。それから、筍を下さった方ありがとうございました。(すみません、お名前ちゃんと確認していませんでした)煮つけや中華の炒め物などにして、あっという間にいただいてしまいました。とてもおいしかったです。おいしかったので、調理したものを夫のところにも送ろうと思います。宮崎→名古屋→沖縄→浜松、よく旅をするたけのこですね。みなさまとのステキなご縁に心から感謝しています。
中尾さんとのご縁は、2002年北海道浦河のべてるの家の総会でご一緒したが始まりでした。柔らかな中に、芯の強さの感じられる可愛らしいお嬢さん、という風情のソーシャルワーカーで、アルコール依存症の人たちとの関り等を楽しそうに話される様子が、とても印象的でした。その後、名古屋で開催された清水義晴さんの集団創造化プログラムに沖縄から参加して下さってご縁が深まりました。
「沖縄で「松の力」の量り売りのお店はないですか?」とのお問合せに、糸満のエコ&サーフカフェ「カメストア」さんをご紹介しました。カメハハの原田様は、神奈川のお客様のお友達で、当初から、いつかお店を開いたら量り売りがしたいと言っておられ、数年後「開店しました」とのご連絡で日本最南端で量り売りスタート。なんと、お店は中尾さんの勤務先のすぐ近くで、共感することが多く意気投合されたそうです。昨年、清水さんと那覇へ行った折、中尾さんが糸満から車で迎えに来て下さったお陰でカメストアさんへ伺い、お目にかかることができました。原田さんは、ビリンバウの丸山祐一郎さんの水カンリンバのワークショップ等も企画されていて共通の話題も多く、嬉しい時を過ごしました。
昨年の沖縄では、清水さんのご紹介でNPO法人コミュニティおきなわ代表の石原絹子様ともお目にかかりました。先月、名古屋での集団創造化プログラムのことで、お問合せ下さった石原様との四方山話で「今度、沖縄から元気な女性が結婚して名古屋の方へ行きます…」「ウン? 中尾さんですか?」「そうです・・・」ここでもつながっていました。そして数年前の沖縄で、やはり清水さんのご紹介でお世話になった知念村の内観研修所長さんが、石原さんの大切なお友達であることも分かり、又もビックリ!集団創造化プログラムには石原様の教師志望のお嬢様がご参加下さり、浦崎太郎さんと教育談義。
地域、世代、職種を超えたさまざまなつながりが錯綜し、又新たなつながりへと広がっています。
縁は、円だなぁと感じています
25号
2007.04
いつもお届けしていたグリーンファーム通信。楽しそうに綴られる自然暮らしを愛読して下さるファンの方も沢山おいででした。先回入院されたことをお伝えした、鶏さんとの交流のあれこれを書いて下さっていた小林彰夫さんが、3月22日に天に帰られました。ここにお知らせしたものか迷いましたが、奥様の麻里さんから伺ったお話がとても素敵なので、了解を得てお伝えすることにしました。
***********
昨年末、急にひどく吐き始め、村の診療所で消化不良だと言われて薬をもらい、お正月はなんとか過ごすことができたそうですが、7日頃から又吐き始め、総合病院で検査したところ、自覚症状は全くなく、元気そのものだったので晴天の霹靂だったそうですが、胃がんが既に肝臓に転移していて、手術できず、抗がん剤も、使えない状態だったそうです。
入院中食べることがほとんどできず、24時間点滴の管と、胆汁を外に排泄する管につながれ、寝返りも打てない不自由な状態にもかかわらず、愚痴ひとつ言わず、いつも大丈夫だからと言い、退院したらああもしよう、こうもしようと、いつも希望の話ばかりされていたそうです。3ヶ月の入院中、治療の手立てがなく、マッサージ、足湯、漢方薬等できる限りのことはされていましたが、家に戻り自然療法に専念しようと、24時間体制の在宅介護の手筈を整えられ、「1週間後に家に帰ります」とお電話頂き喜んでいました。ところが、帰宅予定の三日前、大量出血で危ないとの連絡が入り、福島に向かいました。私たちが着いた時はおさまっており、お元気で、お話もいろいろできました。
予定通り、家に戻られ「あ~、ここは天国だ!」と喜ばれたそうです。が、徐々に体力が落ち、亡くなられる三日前から意識障害が出始め、帰宅後9日目の夜、天に帰られました。
麻里さんから、「彰夫さんは入院してからも、ずっといつも前向きで、病気が分かった時から、既に新しい命を生きていたと思います。末期がんであったにもかかわらず、寝返りが打てなかった為の背中の痛み以外は、全く痛みはなく、モルヒネの必要もなく、最後まで自分らしく生きることができました。結果的には死んでしまった訳ですが、彼は病気に負けたのではなく、ただ、肉体が失われただけで、魂は生き続けていると思うのです」という電話を頂きました。
入院中も、二人でいると楽しいね、と冗談を言い合い、共に暮らした日々に感謝し、最後は、お正月用に買ってあったシャンパンを口に含ませてもらい、彼女が彼の横に寝て、手を握りながら歌を口ずさむ中、すーっと、あちらの世界に移行していくように逝きました、とのお話に愛惜の念は禁じえませんが、なんと素敵な最期かと思いました。亡くなられた日の深夜、彼女に「自分は天国には行かないで、いつも麻里の近くにいて見守っているから大丈夫だよ、行く時は一緒だからね」と伝えに来られたそうで、それ以降いつも近くに感じていますとのことに、まさに“千の風”になられたのだと思いました。鈴木秀子先生の著書「在すがごとく死者は語る」という本に書かれていることを、実感されているそうです。私たちは、死を敗北と思いがちですが、もっと大きな世界を生きることでもあるのだと教えてもらいました。
「彼の魂がすべてに宿るこの場所を、いろんな人の力を借りて、守って生きていこうと決めました」と話されています。いずれ落ち着かれたら、また皆様にお便りをお届けできる日が来ることと思っています。ありがとうございました。
24号
2007.02
エコ・ブランチはお店がありませんが、お客様から頂くお便りで、お目にかかった方のような気持ちになります。その中のお一人、神戸の磯貝様は、笹田雪絵さんの「幸せ気分」に感動され、山元加津子さんの本とともに、全国32箇所の図書館に寄贈されました。
昨年末には山元さんのCDも多くの方に聞いてもらいたいと80枚購入され、その後の顛末についての嬉しいお便りで、思いがけないつながりも分かりました・・・。
暖い毎日が続いております。
昨年の暮れに、山元加津子さんのCDを80枚注文し、人に差し上げようと意気込んだのはいいのですが、CDが届いてから気が付いたのは、私の知り合いに、このCDを聞いてくれそうな人はほんの少しだということでした。やはり身近に養護学校に通っている人とか、障害を持った方とかがいないと、共感したり、関心を持ったりということはなかなかありませんよね。80枚のCDをかかえて、はたと考え込んでしまいました。映画は2月11日で、もう間近にせまっているのに、行くあてのないCDを、なんとかいかせないだろうか・・・。
その時、私に初めて笹田雪絵さんの本を貸してくれた人のことが頭に浮かびました。もう5年以上前になると思いますが、その人は知り合いの校長先生から、雪絵さんの「幸せフィーリング」をもらったそうなのですが、「磯貝さんだったら、こういう本好きそう…」と言うことで、私に貸してくれたのです、思いたったのが1月6日。 さっそく その人に電話して「雪絵さんの養護学校の先生だった山元加津子さんという人のCDがたくさんあるのだけれど、聞いてくれそうな人はいないかしら」 と相談したところ、養護学校に通うお子さんをお持ちのお母さん3人を紹介して下さいました。そして、その日のうちにすべてのCDの行き先が決まりました。そのうちの1人の方は、「明日、養護学校の卒業生の成人式があって、保護者の方やお世話になった先生方やら50人くらい集まるので、その時に受け付けで来てくれた人に配るからと」 40枚近く引き受けて下さいました 。
山元加津子さんのことも、雪絵さんのことも ご存知ない方だったのに、なぜか喜んで引き受けて下さり、1月7日朝早くに、神戸ではめずらしく雪が降る中、雪絵さんのことを思い出しながら、車でCDを届けてきました。「電話もらったのが、きのうで良かった。もし1日おそかったら、みんなに配ることができなかったから…」 という言葉を聞き、不思議な感じがしました。何か大きな力に守られている…、応援してもらっている…。そんな気がしたのです。
加津子さんの映画、きっと成功し水の波紋のように広がっていくと思います。そして、山元さんと雪絵さんの約束も、きっと果たせる時が来ると思います。 私には、そんな気がします。
校長先生は小林様でした…
磯貝さんが、雪絵ちゃんの本を知るきっかけになった校長先生とは、養護教育に携わってこられ、「幸せ気分」を、新任や転勤で新しい方が転任される度にプレゼントされ、お嬢様の結婚式の引き出物にもお使い下さった神戸の小林様というお客様であることが分かりました。
小林先生は、昨年8月に山元加津子さんにお目にかかりたいと名古屋での講演会にも来て下さいました。成人式で配ると言って下さった方も小林先生をご存知の方だったそうです。磯貝様ご自身は、小林様をご存知でなかったのですが、思いがけない糸でつながっていました。